松尾山光勝寺[佐賀県小城市小城町松尾4421

 九州は、日本列島の大陸からの分析知の流入口である。約5千年前に、ウクライナおよびその周辺で発生した分析知は、インド・中東・ヨーロッパ・中国に伝搬して、文明や国家や戦争や学問という虚構を過度に発展させてしまった。その結果として、人類は地球上の有機体の先輩である恐竜と同様に、今自身のサステナビリティに直面している。そうは言っても、私達の日々の生活は、それらの虚構からの恩恵を受けていることも事実である。釈迦は、最後の経:パリッバーナーの中で理想郷を目指しながら、ある距離を残してこの世を去っている。このことは人間の脳をどんなに研ぎ澄まして分析知を深めても、11次元または阿頼耶識とも言われる宇宙の意思を知ること出来ないことを示している。最近の量子力学の発展で、ブラックマター・ブラックエネルギーの中で私達が「存在」を認識しているとされている。日本人最初のノーベル物理学賞受賞者湯川秀樹や21世紀の聖人ホーキングも、この分析知の限界を人生の最期に語っている。

 日本列島は自然に恵まれている上に、ヨーロッパのように目的を持たずただ略奪して通過する人々が少なかったために、父母から子へ・子から孫へと自然からの教えを伝承する事が出来た。それが日本列島の風土であり、総合知であり、宇宙が有機体に託した意思である。

 敏達大王は、中臣鎌子から関東総合知の最後の砦であった東総地方に、下海上国造[私の敷地に住んでいた?]が生き残っていることを知らされ、桜井他田宮に日奉部を作り、列島の総合知と大陸分析知との中庸を取った統治策を考えたが、大陸分析知の雄であった蘇我氏によって中臣・物部族は殺害されて仕舞った。中臣鎌子の別系の中臣氏から鎌足が出て、大陸分析知を深く学び蘇我体制の中で地位を向上させ、ついには蘇我氏を潰して、大陸分析知と列島総合知との中庸を取ったアマテラス/天皇体制を、子の藤原不比等と共に作り上げた。すなわち、日本列島の基本となる精神は、生物として肉体を維持するために不可欠な分析知と宇宙の意思に従う人間の生き方を示す総合知との中庸の働きにあることを示している。

 日本史を超大雑把に見ると、藤原氏の分析知寄りの一派の時代・分析知から生まれた源平族が関東総合知を利用した時代・総合知から生まれた織豊-徳川の分析知よりの時代・西回りのキリスト教分析知に制圧され、総合知は消え去り、全国土が荒廃してしまった現代へと続いている。

 分析知はスキタイ[ウクライナには分離という意味があるという]で完成したといわれ、知力・武力・財力で構成されて三種の神器という形で具現されている。前2世紀頃には福岡県の早良国に伝わっていた。この三つの力は人間の欲と結び付き易く、戦争や国家という虚構を生んでしまった。釈迦は、北方から国という価値観が釈迦族に近づいて来たため、出家という手段を選んだのであるが、折角獲得した原始仏教の総合知も、ウクライナ→ドイツ→ギリシャと伝搬した分析知がさらに精緻化しヘレニズム哲学として北インドに拡散して、大乗仏教という深く分析知化された仏教が生まれた。私はパールハーバー攻撃の頃から、父に野山に散歩に連れ出され、ベルクソン・漱石・タゴール・万葉・古今・新古今・智等々を頭の上から話し掛けられた。ニミッツ将軍に艦砲射撃を受け東総が廃墟となった時には、私一人どこかの山深くに送るから乞食をしてでも、日奉精神を探るように言われていた。その中に天台智と北魏の話があり、最澄の鎮護国家に繋がる話で、六才の頭では、釈迦の原始仏教との関係を解くことは出来ずにいた。今も変わらず分らない。釈迦は死の直前まで托鉢をしていた。誰よりも立派な生き方である。しかし、托鉢の意義・理想郷から距離を取って入滅した意義・九州に渡来する大陸分析知を関東総合知で薄めた各時代に為政者の政策[下掲年表]の意義が日本人の精神を作り上げている。

<年表>

 577:敏達大王は下海上国造の総合知を重視→日奉部創設藤原氏誕生

 600:第一回遣隋使[大陸分析知]

 663:白村江の敗戦[大陸分析知]

 894:遣唐使[大陸分析知]を廃止

 935:平将門の乱[分析知が南関東の総合知を利用→失敗]

 938:大蔵春実[分析知]が藤原純友の乱[分析知が瀬戸内海の総合知を利用→失敗]の追討使に

1000:藤原日奉宗頼[総合知]が南関東で日奉族を組織して日奉大明神始祖に

1014:藤原隆家[総合知の理解者、日奉宗頼の近親]が太宰権帥に

1019: 藤原隆家と大蔵種材[分析知]が刀伊の入寇で女直[大陸分析知]を撃退

1028:平忠常の乱[分析知が南関東の総合知を利用→失敗]

1181:大蔵種直[分析知]が太宰権少弐に

1185:鎌倉幕府[関東総合知を利用した分析知]成立

1186:千葉常胤[南関東の総合知の理解者]は肥前国守護職

〃   :日奉7代平山季重[南関東総合知]は原田荘地頭職大蔵[原田]氏鎌倉へ

1221:日奉族小川氏[南関東総合知]が甑島地頭に

1253:日蓮が立宗[日本唯一の房総の総合知に立脚した仏教分析知]

1274:文永の役[大陸分析知]千葉頼胤[南関東の総合知の理解者]は負傷し死亡

1281:弘安の役[大陸分析知]

1316:千葉宗胤[圓通寺開基]の子胤貞は小城に下向し、晴気城に居城

1318:2月宗胤が松尾山光勝寺[日蓮宗]を創建、開山は日祐

1334:建武中興[分析知の復興→失敗]

1335:足利尊氏が反旗、相馬親種が胤貞[千田大隅守]と組んで、千葉城[貞胤]を攻める

1336:尊氏は京都糺河原戦で敗れ九州へ、多々良浜[福岡市多々良2丁目]戦で後醍醐天皇軍を破る

     持明院統の光明天皇即位、後醍醐天皇が吉野朝を開く

 〃:千葉胤貞が関東へ、       足利幕府[関東総合知を利用した分析知]の成立

1346:日奉13代平山季信が多古に浄妙寺・武蔵に日輪寺を創建、開山は日祐、日奉精神の分析知化

1433:日親が不受不施義[分析知化された総合知]の九州伝道師として鎮西松尾山護国光勝寺に入る

1564:日奉24代平山光義は藤橋城で後北条に敗れ、鏑木[総合知発祥の地]へ。楊梅庭園

1600:関ヶ原戦を脱失の島津義弘は桜島藤崎家[総合知の敏達大王の子孫?]に蟄居。楊梅庭園