墨古沢遺跡=3.8万年前からの日奉精神の揺り籠:千葉県印旛郡酒々井町墨
スンダランドの古モンゴロイドは、旧石器時代を通じて温かい時期にはシベリア・樺太経由の北ルートと沖縄経由の南ルートを辿って日本列島に渡来し、氷河期になると逆のルートを辿ってスンダランドに帰る民族移動を繰り返していた。その頃の日本列島は阿蘇や姶良の噴火等の地表劣化の影響で、大陸プレート上の西日本よりは北米プレート上の東日本の方が生活に適していた。その東日本の中でも関東平野は温泉の分布でも分かる通り、外部からの進入が難しい地域で、とりわけ入り江で囲まれた武蔵と下総の台地は、古モンゴロイドの桃源郷であった。この地で私達の祖先は旧石器・縄文の環状集落を形成して、四季に訪れる自然の美しさの中で、利他の心を育み集積すること[風土・総合知]が出来た。この精神は釈尊の空性に通じ、敏達大王が日奉部に託した意図であり、藤原不比等の希求した天皇霊であり、現代資本主義が消滅した後の人類が求める究極の精神でもある。
1999年から千葉県酒々井町で墨古沢南T遺跡が発掘されて、国内最大級の環状ブロック群であることが明らかとなった。これが環状集落であるか否かはまだ結論が出ていないようだ。しかし、後代に縄文環状集落が存在することから、環状ブロックは集落の初期段階のものであると推定される。環状ブロック群の機能については、大型獣の解体・交易・祭祀等の説があるが、大切なことは、何れの場合でも環状を形成することで人々が生活に安定を感じていたことだ。解体・交易・祭祀いずれにせよ四六時中それをしている訳ではない。彼等の過ごした時間のほとんどは日常の生活である。この日常の生活の中でこころの安定を感じなければ、わざわざ環状を形成することはないでしょう。こころの安定とは、自と他[自然も含めて]の出会いの中で生まれるもので、それを求めて人類は何万年の時を旅し、生活して来たのです。人と人との場合は環状が最も安定を感得出来る形状であった。古代人は表現しないが、それが宇宙の空性の捕捉であり、空間の不確定性・創発性への信頼である。
南関東の旧石器環状ブロック(38000から14000年前)
千葉県酒々井町の最大級環状ブロック(33000年前)
南関東の縄文環状集落(14000〜3000年前)
日奉精神は、中国大陸から千字文や仏教の高度な論理性の渡来が続いていた時代に、国の中枢[朝廷]において日本列島古来の精神を確立するために、敏達大王が日奉部(577)を創設し、東総の下海上国に残留していた縄文人の心を取り入れようとしたことによって公にされた精神です。しかし、その後も大陸から仏教や律令制等の論理性が圧倒的な勢いで流入し、日奉部は創設後すぐに変質してしまい、名称だけが歴史に残るという憂き目に遭ってしまった。白村江での敗戦後、我が国に対する唐の羈縻(キビ)政策は、新羅の興隆によって成功しなかった。朝廷は近江に追い出されるという敗戦国としての厳しい世相が、中国大陸の論理性に基礎を置いたヒェラルキー型[マルドック神]のアマテラス神道と、日本列島古来の精神を希求する天皇霊[唐王朝の名称]という二極支配構造を創出させた。この構造は文明という野卑性と宇宙の意思とのバランスを取った人類史上珠玉の国家体制であり、藤原不比等や天武天皇の功績は計り知れないものであった。しかし、この双方の支配構造内を人間の欲望が蚕食して、地方の民衆を苦しめるようになり、藤原氏内でも分析知に傾いた道長系が権力を増し、総合知系の藤原日奉宗頼は武蔵国司として武蔵国に流罪となり、武蔵国と下総国の民衆の中に残留していた縄文精神[総合知]を活用して、新しい形で日奉精神(1000年頃)を再興した。
★今(2022・3)、ロシアがウクライナを侵略しているが、黒海/カスピ海の北岸地帯は現代世界文明の発祥地[戦争の総本家]です。遊牧民の中東地帯から追い出されて、日照に恵まれないこの地帯に辿り着き苦労を重ねていた人々が[ルサンチマン源流?]、今から5000年前頃に最初に車輪の利用を・暫くして騎馬の技術を発明した。これらを活用して高速で移動し、他の集落の富を略奪すること始めてしまった[有機体の先輩である恐竜の消滅の主因]。略奪をする集落は3倍ぐらい裕福で、文明というものを作り、国家・王侯を作り、戦争を作り、人類をこれらの虚構の中に取り込んで行った。私達が歓喜し陶酔している現代文明は、この虚構の成れの果てです。この虚構の野卑性を察知して出家したのが釈迦です。しかし、パリニッツバーナ経を見ると、人間が宇宙の意思を正確に捕捉することはほとんど不可能なことが分かる。そこで、敏達・中臣グループは、人々の日々の生活で生まれる総合知と文明・国家という分析知との中庸を取る日奉精神を考え出したが、蘇我一族によって葬り去られた。その後も日本人の心にはこの精神だけは生き残り、江戸時代には総合知に対する徳川家康の理解があって、社会の安定に寄与していた。しかし、黒船来航以来、ニーチェが死んだという神を伴った西回りの強烈な分析知に日本列島は支配されてしまった。その結果、一時の繁栄に酔うことは出来たが、日本列島が始まって以来初めて列島の隅々までが荒廃しまっている。今、人類が思い直さなければならないのは、日本人の祖先が大切にして来た日々の生活における総合知との中庸の精神である。 |