宝鏡寺・百々御所:徳巌理豊王女、人形の寺
平山滿篤は後西上皇と親しく、その11女:徳巖理豊王女をよく知る間柄であった。彼女は書道に秀で、全国の寺院にその書を収めて、宝鏡寺の復興に尽力した。当然ながら彼女の多くの書が当家・妙経寺・浄妙寺・妙福寺に収められている。ここからは、伝承で確認はしていないが、滿篤は屋敷を宝鏡寺と古義堂の間に構え、神戸の灘付近にも屋敷を持ち、銚子の飯沼屋敷と繋がっていたという。荷物はこのルートで運ばれたというが、九十九里の干鰯産業とも係るらしい。
日奉大明神29代平山24世久甫:
海上山妙福寺
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