明治天皇桃山陵:山城国桃山城千畳敷
豊臣秀吉の伏見桃山城跡の千畳敷は、桃山城の南郷地で、南に宇治、遠く摂津・河内平野を越えて瀬戸内海が望め、風光明媚な絶勝地である。秀吉の時代は、千畳敷には外国使節の饗応場としての建物があった。敷地内に金明水銀明水の井戸があり、母の話では約一万坪という。ある時、石崎長裕は伏見区堀内村の友人から、近々外国人に千畳敷を売却する話があると通告を受けた。明治天皇が千畳敷の取得を希望していることを知っていたので、取り敢えず入手することにして、調査に取り掛かった。同時に、伊藤重光を通じて柳原伯爵に御料地として買い上げるように、陛下に言上するよう依頼すると、すぐに検分され、御嘉納されることとなった。しかし、柳原伯爵が逝去されて、購入は内々に進められた。小松宮殿下は、長裕の努力に対して、「一寸赤心維報国 小松宮彰仁親王」の自筆の軸を下賜された。長裕は間もなく亡くなり、明治天皇・昭憲皇太后の陵を見ることはなかった。
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