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アーリアと倭国 フロント
アーリア人によって作り出された文明は、西に伝達してギリシャ・ローマに始まる西欧文明を、南に伝達してインド・イラン文明を、東に伝達して炎帝・黄帝・蚩尤を経て中華文明を創出した。このうち東に伝達した文明について見ると、スンダランドの古モンゴロイドは土地の水没で中国大陸に渡り、一部は北上してバイカル湖の南西に居住していた。この人々は西方からの文明の影響を受け文明化されて新モンゴロイドと呼ばれた。新モンゴロイドの中には、アーリア人の故郷に近くその影響を強く受けた炎帝グループや、少し離れていたために影響をやや弱く受けた黄帝グループがあった。また炎帝グループは長江上流地域にも東進して、中国大陸の東南部の稲作地帯の古モンゴロイドにも影響を与えて蚩尤グループが生まれた。炎帝・黄帝のグループ[分析知が優越]からは、後に中原を支配する夏王朝・殷王朝・周王朝が生まれた。その後の秦・漢・唐・・・清王朝もアーリア文明の影響を深く受けている。この文明の思想は、中国大陸で国家・帝国の形成し、朝鮮半島や沖縄を経由して九州に伝来し倭国を作った。
蚩尤グループの精神は古モンゴロイドの精神を色濃く残していて、その中から黄帝グループの分析知の論理性の影響を受けて、中国の二大思想である孔子の儒教と老荘の思想が生まれた。これらの思想が総合知を基礎としていることは、東方への憧憬すなわち縄文の総合知への憧憬を持っていることからも分かる。原始仏教と大乗仏教、孔子儒教と孟子儒教・朱子学、老荘と道教と、それぞれの親子の思想の間では、アーリア系分析知の受け入れの度合いが全く異なっている。私の先祖に当たる伊藤仁斎が孟子を越えて孔子の「仁」への復帰の主張は、日本人の心の根底に流れる総合知への憧憬が創発したのであろう。これらの思想の構成には、生存地域の年間降雨量が影響を与えている。人体の約70lを構成する水分子とそれぞれ生活環境に含まれる水分子との間の共鳴現象の複雑さが総合知の崇高性を創発しているからである。
倭国の成立…黄河は上流では両岸が急峻で対岸の地域との交易が困難であり、下流は黄河の氾濫が激しく南北交易の市場の発達が不可能であった。幸いに中流では南北交易が容易な地域[二里頭・二里岡]があり、今の長安・洛陽が発達した。黄帝グループは自然にその財貨に吸引されて、支配地域は狭いものの王朝が生まれた。夏王朝=価、殷王朝=商と交易に係る名称である。この地域を中華と呼び中華文明が生まれた。この中華地域を避けて東進し、遼東・北朝鮮地域に到達した黄帝グループはがあり、扶余族等多くの部族が生まれた。その中に高句麗があり、秦の始皇帝の東征で追われた燕国が高句麗に攻め込んだ時に、一部が朝鮮半島南端に逃げて伽耶国を作った。高句麗人はその後も楽浪郡の設置等々の影響を受ける度に伽耶国に逃避し、その中には海を渡って北九州に到達する人が大勢いた。この伽耶国が日本神話で言う高天原で、高御座・高木神の高は高句麗を表している。日本の支配層の思想は、三種の神器や鏑矢はウクライナ[スキタイ]を起源としていることから、高句麗[北朝鮮]を介してアーリアの原郷ウクライナに通じている。ウクライナの原郷であるメソポタミアから菊の紋章が伝来している。倭国の成立は、秦の始皇帝(BC247-210)の頃から、高句麗系の人達が北九州の渡来して、国という支配体制を持ち込んだことに始まる。その後、インドネシアのクラカタウ島の大噴火(AD416とAD535)が、全世界の日射量を減少させた。中国大陸全土特に中国東北部でも厳しい食糧問題が生じ社会が動乱して、高句麗をはじめ朝鮮半島の国々からの北九州への渡来者が急速に増大した。仏教・儒教・道教・千字本等の渡来が相次いだのも、このような気象現象も影響している。日奉部の創設は、このような分析知の波状的渡来に対する抗原抗体現象である。このようにして、縄文時代以来総合知の支配していた日本列島に、高句麗のアーリア系分析知を持ち込んで国々を作り、それらを統一したのが倭国ということになる。
東夷としての倭国
中国の各王朝の影響を直接受ける位置にあった高句麗国の逃避地として、朝鮮半島南端に伽耶国があった。伽耶国と新羅国から北九州に渡来した人々がそれぞれの地方に国を作っていたために、新しい渡来者は九州では国が作れずに、東方の適地を求めた。彼等は日本列島の旧来の居住者[東国人]との軋轢の起きない限界の地に国を作った。その地が大和であった。大和勢力は九州勢力と対抗出来る精神と財力とを求めて、新しい製鉄技術で作られた武器で東国へ侵略を繰り返した。この東国侵略に一役買ったのが、中臣氏後の藤原氏である。彼等は馬の朝鮮半島からの輸入とその繁殖に成功し、東山道を通り碓氷峠を越えて群馬に入り、そこを拠点に関東平野を侵略した。この過程はアーリア人の覇権としての文明の成立の亜流であることを明確に示している。関東平野の制圧に成功したことが、倭国の本来の王朝であった九州王朝を倒す力となり、大和勢力が倭国の大王としての地位を確立した。しかし、高句麗国伝来の分析知の神=高御産巣日神[高木神]では、縄文時代以来の総合知の精神を信奉する日本列島の人々を統治することは不可能で、中臣鎌子によって群馬から最も遠い下海上国に残留していた総合知の精神を奈良桜井他田宮に移して、総合知と分析知の中庸を取る神が創作された。その後に中臣鎌足・藤原不比等という大天才が現れて、分析知の神の代表であるユダヤ教を取り入れてアマテラス神が創作された。
分析知の倭国と総合知の東方
富士・箱根の噴火
東山道
三関の関