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 2021年頭   日奉族活動地域

取り合えず、 次の項目で書き換え資料を作成している。@人類究極の精神としての日奉精神 A人類の発展 B日本列島の旧石器・縄文 C文明の発展 D文明の東遷:倭国 E日奉精神の誕生  F東国への侵略 G日奉精神史

 人類究極の精神としての日奉精神

 人類が誕生以来数百万年間の日々の生活を通して積み重ね、継承して来た精神がある。それは総合性が高く論理性が乏しい穏やかな精神です。その精神を携え育んだ人々がアフリカより東へと旅し、東方の最果ての地:日本列島に到達した。その後、朝鮮半島より論理性の高い人々が日本列島に流入して、総合性の高い精神を持つ土着の人々を征服してしまった。しかし、わずかに南関東[武蔵・下海上等]に、生き残ったのが日奉精神[日本書紀:534年武蔵国造乱・577年下海上国造;日奉部]であった。ネアンデルタール・クロマニオンズ・ドラビダ・古モンゴロイド・縄文人はこの総合性の高い精神を持っていた。宇宙の意思があるとすれば、総合知はそれに適った生体の在り方であろう。極端な例になるが、原子力発電所の事故があった。ウラン原子の宇宙の意思に従った在り方は、地球上のあちこちに散在することであり、その状態では安全であるが、人知を加え遠心分離で濃縮すると危険性を表す。さて、宇宙の意思に従った総合知はすべての古代人の精神であり、それを下図では緑色で示しているが、明治維新以前の日本人・特に田舎に住む人々の心には多く残っていた。否、文明の中で道化を演じ過ぎている人は別として、一般の人は総てこの美しい精神を心に秘めている。アインシュタインが東北地方を訪問した時、東京駅で出迎えた人々や東北の田舎で会った人々のこの総合知の心に感動し、帰路の門司から上海への船の中で日本人宛の手紙を書き、その美しい心を残してほしいと伝えている。人体の約70lは水で構成されていて、私達が日々遭遇する自然界で動植物は無論のこと、星や山も見る人との間に介在する水分子を見ているのであり、生きるということは水分子間の共鳴であり、総合知はそこから生まれる知恵[創発]の数百万年間の集積である。

 時代が下って人口が増えたにもかかわらず、古モンゴロイドや縄文人の精神が、分析知を表面に出さない社会を維持出来たのは、彼等の住む地域の年間降雨量が人の身長程度ある環境に生活していたからである。一方、中央アジアでは年間降雨量が人の膝の高さ程度と少なく、広大な平原にわずかに生える植物を牛や羊に食べさせて、その乳や肉を食料とする遊牧[知識の集積と知恵が要求される生活]が行われて、分析知を重視しなければ生存が維持出来なかった。加えてこの地域には北米大陸からベーリング海峡付近を通って森林馬が伝来し、食肉の野生馬から放牧馬となり、その中からカスピ海の東北で騎馬技術が生まれた。騎馬技術の発達は管理出来る家畜の数を増やし、遊牧民自身の経済力を数倍に高めただけでなく、周辺の部族特に農耕民からの略奪・拉致が盛んに行われた。これまで北方の辺地に追いやられていた彼等が圧倒的な力を得て、貴族という差別語を自称するようになった。支配する地域が拡大すると共に、言語が必要となり印欧祖語が出現して宗教が生まれ、国が虚構され文明が出現した。この文明がセム・アーリア系の人々によって全世界に伝えられた。現代の世界文明は、その直系の子孫であるために、騎馬戦隊に代わり原子爆弾・ICBMが、馬車交易が航空貨物に代わっただけで、差別に基礎を置いた分析知文明は、現代に継承されている。この発達の過程で生まれたクニ→国→国家という虚構が複雑に発達し、宇宙の意思に従った生体としての個々人の精神は、国家の規制の中の存在になってしまった。釈迦は、コーサラ国の支配が釈迦族を吸収し始めたために、故郷を出て[出家]修行し、年間降雨量が人の身長程度になるマガタ国の霊鷲山で総合知とは何かを追求した。法治を避けて徳治を求めた孔子そして老子・荘子は、分析知の影響の強い炎帝の子孫という説もある蚩尤の活躍した地域の人達で、スンダランドから直接中国大陸南部に渡来した古モンゴロイドに属している。彼らは年間降雨量が人の身長程度になる地域で育ったことにより、総合知を強く主張している。孔子の東方への憧憬や老子の蓬莱山等は南関東の総合知を志向しているのである。

≪人類の精神発展≫

T.旧石器時代[原始集団]は、人類の集団が分析知[知性・論理]を総合知の中に深く宿した精神が支配的であった。集団が危機に際した時に分析知が表面に出る社会である。しかし、チンパンジーの群れでは、降雨量の多い地域では総合知の母系社会が、降雨量の少ないサバンナでは分析知の父系社会が創出されているというから、原始人類集団にも弱い分析知社会は存在していたことになる。

U.新石器時代[縄文時代等]は、分析知が発達して来たが、社会の表面は総合知で覆われていた。

V.約5.5千年前には、原始分析知[黒海・カスピ海の周辺]が誕生して総合知を吸収する文明という虚構が生まれた。このために、UとVの間に共役構造[中の思想]が生まれた。この状況下で、Vを宇宙の意思とはかけ離れた存在として捉えて敬遠することによって、原始仏教・孔子儒教・老荘思想・日奉精神等が生まれた。

UとVの共役構造は、中臣鎌足・藤原不比等・天武天皇等が求めた日本の理想支配構造であったが、仏教等の分析知の影響で、その後の日本の支配構造は、分析知化され退化したものになってしまった。この人間の性は対処が難しい。出家し糞雑衣を纏うことのあった仏教も、大講堂と金ぴかの仏像を拝するようになってしまっている。

W.現代文明[5000年前頃から現代まで]は、Vの特性である知力・武力・金力が、大半の人々に直截的な価値を与えるために社会の虚構化が進み巨大化して、人類を滅亡に向かわせる環境問題に突入している。

X.未来理想文明[サステナビリティ]は、欲望の横溢した現代文明の野卑性を撓めて、宇宙の意思に適った総合知に包まれた社会に向かわねばならない。それはもしかすると、母系社会かもしれない。女性国会議員の数がどうこうというような小さな問題ではなく、現状の政治・産業・学問・軍事を根底から覆す組織:総合知に包まれた文明であろう。これは理想であって、5000年を超えて文明に洗脳された人間の脳がこれを受け入れるのは難しいので、UとVの共役構造に頼ることになろう。

     

 日奉精神は、大陸からの仏教・暦法等の分析知[文明の基礎]の渡来時に、日本列島で約3.5万年前から継承して来た旧石器・縄文時代の原日本人の総合知[自然と人間の共鳴]の維持と、その再構築を目指した南関東の精神である。現代の人類の価値観は、約5.5千年前に黒海とカスピ海の北岸地帯で誕生した分析知に基礎を置いていて、その価値観がクニ→国を生み文明を生んで人類を見かけ上の進歩・発展に導いて来た。この文明の三要素[知力・武力・金力=三種の神器]は、人間の雑欲[生体の存在にとって必要条件]に根差しているために競争性が強く現れる。この競争性の現れ方は、チンパンジーの母系社会と男系社会の現れ方から分かるように、水の相転移エネルギーの利用の容易さ[太陽の恵み:植物の繁茂している所]に影響される。降雨量の多い東南アジア、ことに関東平野は黒潮・親潮の還流を含めて、その競争性が過度に現れる必要のない生存環境が整っていて、宇宙の意思に沿った人間の生存[総合知の維持]が可能であった。それが旧石器・縄文時代の南関東の人々の穏やかな精神[列島本来の太陽信仰]であり、日奉族の希求した精神である。

 明治維新以後の日本文明は、西回りで発展を続けた欧米文明[高度な分析知:主にキリスト教]に支配され、学問・軍事・経済の分野では過度に発達している。しかし、この種の文明は、右肩上がりの経済成長による環境破壊や核兵器開発競争が典型的な例で、文明が忌避することの出来ない野卑性[競争性]によって人類を存亡の危機に追い込んでいる。この時に再認識されねばならないのは、程度の差こそあれ全日本人の心に伏流している総合知の精神である。文明という領域においては、人類生活は明らかに進歩したけれども、その結果として個々の人間が自然の中で時の移ろいに美しさを感じて生涯を送っているか、人類のサステナビリティーが保証されているかというと、どうもそうではないようだ。総合知に属する日奉精神や原始仏教は、論理的対立や優越性を敬遠するために現代人には理解されないが、将来、日本の国力が世界で30位に落ちたとしても、凛としてその存在を示すことが出来る精神である。セム系分析知の大天才:アインシュタインは、来日時に小泉八雲の本で日本について勉強して来た。神戸から列車で東京駅に到着した際の駅頭での人々の歓迎の様子や、一般人の家庭を訪問した際の人々の対応に感激し、「日本人は静かに生活し、熱心に学び、己を出さず親しげに微笑んでいる。ドイツでは、教育は生存競争の具で、すさまじい個人主義・競争・贅沢・熾烈な闘いが日常茶飯事である。日本では、自然と人間が一体化している。田畑・家屋・話し言葉・動作・衣服・家具すべてに芸術があり、絵のように美しい笑顔・お辞儀がある。当時の日本政府の富国強兵策は、日本人の古来の生き方と異なる方向だと警告した。日本人は西洋の業績に感動し、科学に飛び込んでいるが、その際にも生活の芸術化、謙虚さ・質素さ・純粋な心・静かな心を保ってほしい」と訴えている。また、2018年春に亡くなられたアーリア系分析知の大天才:ホーキングは、最期に人類に残す言葉として、エネルギーと時空間の関係から自然法則以外に神は存在しないと説いている。彼の書き残した大切な言葉は、「仕事を通して、宇宙に関する理解に貢献出来たことは、とても幸運であった。しかし、私が愛する人達、私を愛してくれる人達がいなかったら、宇宙は虚ろな世界だったろう。その人達がいなかったら、私にとって宇宙の不思議は失われていたに違いない」ということです。このように二人の大天才は分析知の領域で活躍しながらも、自然の中で生きる人間として総合知の崇高性を私たちに説いている。日奉精神は、日本列島において約3.8万年にわたる日々の生活の喜びと悲しみを宿した人類の最古にして究極の総合知=「こころ」である。