文明の誕生 フロント

 私達は全生命活動を文明の恩恵に委ねているために、よほどの覚悟がないと文明の牢獄から出ることは出来ない。しかし、人類は最終兵器といわれる原子爆弾と、全世界の情報を市民が直接触れることの出来るスマホを獲得したこととにより、個々人が文明の限界とその虚構性を直接知ることの出来る時代が近づいている。すなわち、人類が宇宙空間の存在として正しい生き方の出来る新しい文明を創造しなければならない時代を迎えている。そのためには、現代の文明がどのように成立したかを知る必要がある。

 アルプス・ヒマラヤ造山運動で隆起し、ヨーロッパから中国大陸までに連なる山脈群の北側は雨量が少なく寒冷なために、またアルプス山脈の南側でも所によってはアフリカ大陸が存在によって海洋からの水蒸気の供給を抑えられるために、それらの地域の住民は広大な土地にわずかに生える雑草を羊や牛に食べさせて、その乳や肉から人間が栄養を摂取するという遊牧が必要とされた。このことは山脈群の南側に住んでいて穏やかな狩猟採取・農耕生活を送っていた人々に比べて、遊牧民には多岐にわたり高度な知識を持つ脳が形成された。その知識は競争を基礎としていて、競争に敗れた部族はさらに気象条件の厳しいカスピ海や黒海の北側に追いやられた。この地域は太陽光の恩恵も少なくクル病に対応するために肌の白色化が始まり白人が登場した。白人にとって幸いなことはカスピ海と黒海の北岸には、降雨量が比較的多い肥沃な平野が存在して人口が増加した。

 白人にとって更に幸運なことは、馬との遭遇である。馬は北米大陸で1000万年以上前に森林馬として登場し、100万年前以降に氷に閉ざされたベーリング海峡付近を渡ってユーラシア大陸に現れて草原馬となった。その中で蒙古馬は肉付きも良く、カザフスタンのボタイ(Botai)で5000年前頃に食用として家畜化された。馬は牛や羊と異なり前足で雪の下の水や草を掘り当てる能力が優れていて、冬季の飼い葉の準備が必要なく飼育に適していた。暫くしてボタイで騎乗技術が開発され、騎乗者と牧羊犬を使っての羊の管理によって経済力が2倍以上に増した。騎馬隊によって遠距離の集落に出没して家畜や農産物の泥棒が盛んに行われるようになった。同じ頃にメソポタミアでワゴンが開発されて、中央アジア・東ヨーロッパへと伝播した。騎馬と車の発達は 部族間の情報量を増して、詳細な情報を伝える言葉[インド・ヨーロッパ語]が発達した。こうして略奪を基礎とした国という機関が虚構され、戦争が各所で起こった。それに伴い論理[ギリシア哲学]と宗教[ヴェーダとアヴェスタが生まれた。必然的に貴族と神官が登場し、差別社会すなわち分析知社会=文明へと落ち込んでいった。

   馬と文明

 白人はアーリア[奴隷→貴族]と自称し、ヴァルナという階級思想・交易による富・産鉄による農耕略奪に用いる農具武器を急速に発達させた。騎馬隊の登場は、現代の制空権を得たようなもので、征服を正当化するクニ→国→国家という虚構が生まれた。このクニが、分析知を用いて知力・兵力・金力[カースト・三種の神器]を高度化・集積して文明を作り出し、この文明の坩堝の中に、その後の全人類は閉じ込められ続けている。この歴史の潮流[分析知の繁栄]の中で、人類の生誕地アフリカから最遠方に位置する東総地区では、宇宙の意思に従って生活する総合知の社会が維持されていた。この総合知と分析知との中庸を取ろうとした日本列島の叡智が、中大兄皇子と中臣鎌足の乙巳の変(AD645)である。人類最高のアンビバレンスな二極構造の構築を目指したが、極度に分析知化した仏教・儒教の攻勢と支配層の無知で消え去ってしまった。この状態を救うために、日本列島に総合知の社会を残そうとしたのが、藤原日奉宗頼の日奉精神の復活(AD932)の意義である。

 文明[分析知]の誕生

 シンタシュタ文化は4100年前〜3500年前のもので、馬と二輪戦車を活用して俄かに強大になったが、別説では3400年前とも言われている。また騎馬の技術も5700年前〜5500年前に始まった説や約3000年前に中央アジアのイラン系アーリア人が騎乗を始めたという別説もあるが、5500年前の説が妥当であろう。

 世界地名辞典によると、三種の神器の故郷:ウクライナの地名は「断つ」・「分かつ」という印欧祖語から生まれたスラブ語のkrayを含んでいて、風土の形成過程において母体からの発展的分離を意味し、混沌からの任意の秩序の誕生のダイナミズムをkrayは示唆しているという。ここでいう母体・混沌は総合知の領域で、その領域から任意の特質を分離して新しい秩序を創造するのが分析知の領域=文明である。大切なことは、総合知の領域=宇宙の意思が存在しなければ、社会にダイナミズムが存在しないということである。