未来の理想  

宇宙の意思     HP

 人間は誕生後、周囲の人々からの刺激を受け各種の知識を習得して成長し、それぞれに業績を残して一生を終わる。現代は、この各種の知的刺激の中でも科学的なものが重視される時代が続いている。確かに科学的分析知を採用した方が合目的的で輝かしい文明の恩恵を享受出来る訳だが、人間の社会の諸象は分析知で掬いきれるほどに単純ではなく、戦争・環境破壊・凶悪犯罪等が増加している。この状態は慣性力があって当分続くようだが、新しい時代で重視される総合知を補佐する思考が世界のあちこちで誕生している。そしてそれは歴史上虚弱で未開と看做されていた倭族の思考の中に古代より宿されていた。その心のあり方の一つとして日奉精神があり、それは自己と太陽の間に学問や身分というような人為の夾雑物を置かない心で社会の諸相に対応することである。

 大東亜戦争が激しくなって学校に軍隊が駐留するとしばしば閲兵式に連れて行かれた。石の門柱を入った瞬間にテントの中にいた4〜5人の番兵と2騎の騎乗兵が「捧げ銃」をして迎え入れていた。そこで左折して約20b進み御真影に拝礼するのが訪問者の決まりであったが、私は必ず斜め左の兵舎の方向に背中を押された。敗戦と同時に御真影の飾られていた部屋は倉庫になり、あれほどまでに慇懃丁寧な最敬礼を繰り返していた大人達は誰一人として御真影には一瞥もせずに仕事に精を出していた。もし、斜め左方向に背中を押されることがなかったら、この戦争から平和へという世相の大変革の過程の中で近代文明の軽薄性を感じることはなかった。

 日本の敗戦はかなり以前から知らされて、東京に大きな爆弾[原子爆弾]が落とされて焦土となり、九十九里浜から上陸し東京に向って進軍する戦車を後ろから砲撃するための砲台の基礎が造られていた。上陸作戦が始まれば大人達はこの土地に残る以外ないが、子供達は東北地方の山野に乞食となって隠れ住まねばならないと想定していた。その乞食の子供の一つの脳の中にベルグソン・宣長・万葉古今新古今の和歌が記憶されていることが日奉精神の命脈を保つことに繋がると考えて、空襲が激しさを増した頃から暇さえあれば「時間とは何か、もののあわれ知る」等々を繰り返し繰り返し聞かされていた。

 歴史的に日奉精神を維持して来た構造を見るとあらゆる局面で二極構造が取られていて、その主題は良きにつけ悪しきにつけ、進化し続ける文明からの距離の取り方であった。それが、海上国の成立から太平洋戦争までの歴史の各局面で現れている。例えば、関東への徳川幕府という論理性の出現に対抗するための拠り所として日蓮宗不受不施義が採用されたが、不受不施義が幕府の締め付けを受けて不受不施派という論理性へ変質すると、不受不施派からも距離が取られている。

 日本精神の特長は西アジアで発達した論理性の高い文化を中国経由で受け入れて、それを自然化することにあった。何故に自然化が起こるかというと、太陽エネルギーを吸収・放出する水の変態の恩恵を受けた植物が多様に存在していることや明瞭な四季の変化があること、また地理的にはアジア大陸との間に東シナ海と日本海という文化伝達上のフィルターが存在することにあった。縄文時代前後の日本列島では、森林の提供する再生力の高い資源を利用して人々に日々の生活を通しての夢を与えて、集団を束ねる虚構[邑の起こり]を作って来た。

 百済・唐・渤海等から伝播した論理性の高い文化は、鎌倉時代になって新たな土地支配制度や新興仏教が起こって日本の風土に適合するように改善された。更に後に渡来した宋学を始めとする儒学やキリスト教の高度な論理性に対しては、江戸幕府によって鎖国という手法が採用されて国内での思想の自然化の胎動が待たれた。その結果、先ず儒学の分野に伊藤仁斎が現れて、論理性の影響の少ない孔子の学問に帰ることが主張され、その思想を受け継いだ本居宣長は日本人の心は古事記に求めるべきだとして国学を確立した。宮崎安貞が現れて日本思想の自然化が進められた。その間に西洋での論理性は産業革命を経験して益々その影響力を増し、鎖国体制の日本列島を締め上げて鎖国の皮を剥がさせて彼等の論理性を日本人の身中深く注入してしまった。この論理性を宿した明治以後の日本人は倭族である自己を見失い幾つかの戦争に関与して火傷をしたが、経済面では一応の成功を収めた。現代の世相を見ると、この欧米で成熟した論理性を偏重する社会はそろそろ限界に達している。今大切なことは、重層的に論理化されている現代日本社会を如何にして自己に適合した社会に改変するかということである。

 伊藤・本居は、約2千年前の孔子や約千年前の古事記にそれぞれの主張の原義を探求した。140億年の昔からの宇宙の発展過程が想像可能になった現代の私達には、彼等の主張に限界を感ぜざるを得ない。皮肉にもルネサンスを経験した西欧の論理性の中で、相対性理論やDNAや自己組織化やフラクタルやカノン等が研究されて、この宇宙それ自体に根源的意思が宿されていることがおぼろげながら見えて来た。ビッグバン後の宇宙に存在する光と物質は全てこの根源的意思を宿している[草木国土悉皆成仏]のであり、それらが時に従って主客を構成して共鳴し合うことによって、美が生まれ価値が生まれるのである。人間が万物の霊長であるか否かは、宇宙に無数の銀河が存在することからして怪しいものであるが、少なくとも人類が地球上で支配権を得ているのは、人類が発展の過程で獲得した知識力・武力・経済力の恩恵に浴しているからである。しかしながら、これらの三つの力は人間が存在するための手段であって目的ではない。日本も含めて最近の国際社会は余りにもこの三つの力を追及し過ぎていて、環境破壊・殺人・戦争等の社会問題の深刻化の原因となっている。これからは、宇宙空間における時間の継続性を顕在化する手法=芸術の力に目覚める必要がある。