日本人の未来

日本人の未来    HP   

 古代、倭と呼ばれていた日本人は白人(コーカソイド)の作り出した現代西欧文明を明治以後見事に自分のものにした結果、モンゴロイドの中では一国だけがG8に仲間入りして、世界のリーダーとして活躍している。このことは今では見慣れた光景で不思議には思わなくなったが、各国代表の居並ぶ写真などを見るとやはり異状なのは白人の中の日本人の存在である。日本人は西欧人が左脳を使って築き上げた現代文明に対処するために、右脳を極度に発達させることに成功したといわれている。この異状状態が今後何百年も続くとは思われない。情報化社会の浸透と科学技術の更なる成熟によって、核兵器が神の座から引き降ろされる時には、この異状状態は解消して歴史家の研究対象となるであろう。その時に人類は人間性を最高の価値とする本来の社会を回復しているか否かが重要な問題となる。そのためには人類生存の意義を深く考えて、人類史における倭族の役割を再確認する必要があろう。

 一人の人間が誕生するということは、自然から距離を取ろうとする生命体が自然という大海の中へ泳ぎ出ることであり、人間はある限られた時間を自然の中で過ごして一生を終わり自然そのものに帰る。自然の中で過ごしている間に、人間と自然[社会を含む]の接触が起こり無限の価値が創出されて、その地域の風土が発展し社会には歴史が刻まれる。この世に宇宙の意思というものがあって、それが地球上に生命というものを作って人間の脳と心を発展させたと考えると、地球上に宇宙の意思を具体的に現すことが人間の使命であるといえよう。風土を発展させ歴史を継承することは人間存在の根本となる。より良い生活を実現するために、ここ6000年間の人類は論理を最上のものとしたことにより急速に文明を発展させたが、論理の持つ闘争性[戦略/戦術]のために環境破壊・社会不安が増大している。論理に偏った今日までの文明のあり方では努力すれば努力するだけ理想社会が遠のいて行くことになり、国連憲章で謳うように平和と安全が人類の希求する理想であるならば、社会に穏やかな空気の流れる新しい文明システムを創出して移り変わらなければならない。

 現代西欧文明では、科学や経済や法律に代表される論理システムが、曖昧性を伴う人間という存在に緩衝帯を置かずに直接的に接触する時代となっている。それに代わるものとして東洋の被支配者層が潜在させていた価値システムが、何時の日か抬頭することを期待する。この価値システムは目新しいものではなく、東洋のみでなく恐らくは西洋でも文明の発展をその基底部分で推進して来た力であったと考えられるが、人類活動の表層を論理で追いかける部類の学問の網の目からはこぼれてしまう部分である。

 東洋での文明の発生はかなり古いが、取り敢えず6000年前頃の万里の長城地域から満州にまたがる後代に中国支配者層を輩出した文化圏[長城-燕山圏]について東洋精神の発生のメカニズムを探ることとした。この長城-燕山圏では紅山文化圏と大地湾文化圏が巨大な東西共軛構造を形成していた。その構造体に向かって西方から継続的に伝播したコーカソイドの論理をそれぞれの文化圏が取り込み、先祖伝来の巫術と融合させた新しい統治理論を作り出した。その後に長城-燕山圏の南側に位置していた仰韶文化圏の内部にも廟底溝遺跡と半坡遺跡との東西共軛構造が構成された。長城-燕山圏で創出された文化が仰韶文化圏の東西共軛構造に長期にわたり流れ込んで輝かしい中華文明が形成された。弥生時代以後、この中華文明を受け入れた日本列島にも北九州と大和の東西共軛構造が出現し、時代が下ると関東と関西の東西共軛構造が形成された。そこで中国からの文化を咀嚼して、古来の縄文文化と融合させ日本独自の文化が創出された。これらの共軛構造が東西方向の形体になるのは、人類の抱く太陽信仰と両地域における気候の類似性によるためであろう。当研究会の基礎テーマである日野-東総,多古-鏑木等々の東西構造体もこの類型に属するものである。

≪東西共軛構造≫

この文明創造システムは農耕社会で無意識に発生した。

 将来、欧米文化が凋落した後には、中国が現在世界を覆っている物質文明のリーダーとなる可能性は高い。この時に備えて日本が創造しなければならないものは、人類の理想が平和と安全であるので、世界の各国が発展すればするだけ日本が発展するシステムを日本列島に構築することであろう。そのためには東洋文明の基礎システムである東西共軛構造の機能を調べることが最も大切なことになる。

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 遼寧省付近の支配者層は長城-燕山圏の東端に位置しているために、進んだ統治論理を持っていた。すでに山東半島より朝鮮半島南部に渡来していた韓族は、北からの統治論理に影響されて馬韓・辰韓・弁韓の三韓に別れていた。最も論理化の進んだ西岸の馬韓がこれら韓族の支配権を握っていた。そこへ遼寧省付近の扶余国の王族が朝鮮半島の西側沿岸を南下して来て百済国を建国した。この影響は半島の南端にいた倭にも波及した。弁韓に亡命した馬韓人が北九州に渡り、更に大和に進出して最初の大和政権[北九州と大和の東西共軛構造]を誕生させた。その後にも統治の論理に優れた朝鮮半島の人々が相次いで渡来して、日本列島に国家が成立し日本社会の論理化が進んだ。

 このようにして弥生期の倭人の渡来には2系統あり、山東半島の東夷が稲作技術と高床式建築技術を伴って朝鮮半島南端経由で大挙して北九州に渡来した系統と、遼寧省付近の高度に論理化された人々が朝鮮半島に南下し支配階層になって日本に渡来した系統である。山東半島の東夷と同様に、日本においても国家中央の喧騒を避けて関東地方に移住し東夷と呼ばれた人々がいる。このアズマエビスの特長は雲南省の古代のモンゴロイドの精神を強く継承しているものと思われる。彼等は理性と感性のバランスの取れた思考を固守しているために、争いには適さず戦いには負けてばかりであった。これが日本人の本来の資質であって、日露戦争という偶然の出来事を除けばとても論理性の本家本元である西欧人の敵ではなかった。

 このように、日本人は雲南地方に起源を持つ総合的視野と遼寧地方で練成された論理的英知を兼ね備えていた。明治以後の蒸気船や航空機の発達によって西欧文明の影響を直接的に受けるようになって、私達の日常の思考の中に占める論理性の割合が爆発的に増加した。その結果、未曾有の経済的発展を遂げ多くの人々が安心して一生を送れるようになった。しかし、最近の社会情勢は日本および世界の文明が凋落に向かっていることを示していて、その原因が情報化社会の出現と日本も含めて欧米の歩んで来たのと同じ道を歩み出した中国経済の超大化とにある。

 国家としての質量の小さい日本にとって大切なことは、6000年の昔から個人を枠にはめて来た文明のあり方を、徳性に比重を移したものに置き換えて行くことである。幸いなことに、日本人の祖である雲南地方に住んでいた倭人は理性と感性のバランスが取れた考え方をしていた。日本人のDNAには価値の多様化する未来社会の中で徳性によって価値を創造する能力が具備されている。周辺の国々が富めば富むほど日本が繁栄することになる構造体の構築に成功すれば、全人類の希望する社会の実現に寄与することにもなる。