日本人の心

日本人の心[書き換え中]   HP

 『楚辞』の「東皇太一」には、天つ神[東皇太一]を奉る儀式が歌われている。楚人は都の東に祠堂を造って奉っていることから、東皇太一と呼ばれる星は全天の恒星の中で最も輝いていて旧正月前後の夕暮れに東から上るシリウス(−1.4等星)であると推定される。この星は冬の東南の夜空を飾るオリオンの三ツ星を斜め下方に延長した所に位置していて、薄暮でも一際明るく輝いて見える。中国では時代が下ると楚人ばかりではなく黄河流域の人々までも、この星に日々の希望を繋いで生活していたようで、大袈裟かも知れないが何千年を通して全中国、中央アジアやヨーロッパの人々が夢を託した星であろう。面白いことにシリウスは望遠鏡で見ると揺らいで見えたようで、今ではその原因が白色矮星を伴う連星であるために起こる現象であることが明らかになっている。夜空を飾る恒星の多くが連星の形態を取っていることは判っていたが、人類の憧憬の対象であるシリウスが対構造をとっていることには特別な意味[ゆらぎの尊さ]が秘められているのであろう。

  ノーベル賞学者G.エーデルマンは人間の一瞬の意識シーンを作り出す脳神経のプロセスとは無数の神経対構造の一瞬のパターンとそれぞれの結合強度によって形成されるという。この意識シーンは今という時に縛られた原意識と過去・未来そして自己自身を俯瞰出来る高次の意識からなっている。人類が400万年を費やして脳容積を拡大して来たのは、この高次の意識に到達するためであったことになる。私達の脳で繰り返されるという再入力プロセスは宇宙エネルギーが宿している「時の要素」を巧みに捉えている。

 『楚辞』の「東君」には「太陽神が天の馬車に乗って暘谷から上り西に沈む」と、同じ『楚辞』の「出自暘谷」には「太陽が東方暘谷より出て、夕方蒙水に宿る」と記されている。『淮南子』の天文訓には「太陽が扶桑の生えている暘谷より出て、蒙谷に至る」と、『書経』には「帝尭は義仲に嵎夷(東方の九夷の住む土地)に宅するを命じて曰く、暘谷から昇る太陽を謹んで導き春の耕作を順序立てよ」と、『後漢書東夷伝』には「昔尭命義仲宅嵎夷、曰暘谷、蓋日之所出也」と記されている。これらの記述から、古代中国人は東君[太陽]は扶桑の木の生えている暘谷から上ると考えていた。

 暘谷が何処かということになるが、人工衛星写真による日の出ラインの極東地域での移動状況や関東造盆地運動による沼や入り江の多かった地形的特色や関東平野には3万年以上前から集落が形成されていたことや富士山を扶桑の木とすること等と数千年にわたる数億の人々の東方への憧憬を考慮に入れると関東平野が暘谷であるといえるであろう。元より人が長距離を移動して直接に情報を伝達することは難しいが、中国興隆溝遺跡と青森三内丸山遺跡との関係などから人類の生存に関わる情報は世代を超えて伝わるものであろう。

      

 日本の敗戦が間近に迫った頃、国防婦人会の人達が兵士へ食事を出した後片付けをする音と甲高い女性達の笑い声が崖下から聞こえる丘に腰を下ろして、与謝蕪村の「春風馬提曲」の詳細な説明を聞いたことがある。その内容はほとんど忘れてしまった。大都会大阪に奉公に出ていた少女が薮入りとなって、やっとの思いで年老いた母に会える時の心のときめきを春の陽が優しく包んでいる「故郷春深し行き行きて又行き行く・・・戸による白髪の人 弟を抱き我を待つ春又春」が日本人の本来の心であり、戦争に勝っても負けてもこの心は失われると聞かされた。三年という時の流れの中で、待つー待たれるという関係を保つということは、母子二人の頭の中に数え切れない意識シーンが創発されて、時空を超えた信頼感が生まれるのであろう。蕪村はその状況を友人太祇の句「薮入りの 寝るや一人の 親のそば」で表している。現代文明は自動車や携帯電話を生み出して表面的には非常に恵まれた生活を送ることが出来るようになったが、最近の社会の出来事を見ると、人間が人間らしくない生き方を強いられているように思える。知識や法規や金銭を超えた価値を大切にする社会システムの開発が必要となっている。

 蕪村は『詩経』のヒン風[周の故地]の詩[春の日は遅々と暮れる 蓬を摘む人々が未だ野に満ちている 少女が一人悩み悲しんでいる 高貴な人と同じようには結婚できないので」から来ているという「遅き日」を用いて「遅き日のつもりて遠きむかしかな」と詠んでいる。少女は未来を、老人は過去を思っている訳だが、2千年数千`の時空を隔てても「遅き日」は二人に物思う心を開かせている。春の海が一日中のたりのたりしているように感じさせるのにも「遅き日」が大いに関係している。

 宇宙にはシリウスのように連星を構成している恒星もあるが、更に遠く夜空を飾ってくれている星雲同士や星雲団同士でも対構造をとっているものがあるという。この対構造は恐らくモンゴロイドが「気」や「理」と呼んでいる「宇宙の意思」を時空の中に保有して時空としての価値を創造するための構造であろう。人間の脳は1千兆個ともいわれるシナプス対構造によって、この「宇宙の意思」を忖度し価値を創発して歴史を刻んでいるのである。『詩経』と『楚辞』との対構造も西方遊牧民族の高速情報伝達システムからの高度な論理性を大陸モンゴロイドが受け止めた時の心の持ち方の差異から生まれたものである。それらを差異[詩経と楚辞の対構造]から生まれる磨き上げられた価値に蕪村の脳が共鳴することによって「日本人の心」の一端が涵養されたのである。