会の名称

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 日奉創発の会の『日奉(ヒマツリ)』について・・・古来全人類は太陽の恵みに畏敬の念を抱いており、日本列島でも古くから各地の人々が自然信仰の中で太陽に強く心を寄せていた。時代が下って中央集権的勢力[分析知]が大和に誕生すると、その勢力は各地の人々を体制の内に吸収していった。房総半島周辺領域では、その吸収の過程で最後まで自立[総合知を守ろうとした複数の地方太陽信仰集団があった。その一つで最後まで自立を守った下海上国は日奉部[日祀:AD.577]として中央に吸収された。すなわち、日奉とはこれら辺境の精神に対する大和側の呼称ということになる。

 この吸収の過程で原始太陽信仰は変質して、縄文的精神と弥生的精神の両義的性質…中臣氏の使命を持つようになった。その後はこの両義的性質を持つ精神が房総半島周辺では、他田日奉族と呼ばれた人々の精神構造となった。彼らは南関東に平氏の勢力が登場する九世紀後半までは、この両義的精神[体制内非体制]を細々と保って[縄文精神の伏流水]いた。遠祖藤原日奉宗頼は武蔵国に任官して、住民から「日野宰相」と呼ばれ日奉大明神として日野宮神社に奉られてた。このことについては研究が十分でないが、重要なことは国の官僚である宗頼が日奉を名乗ったという時代性と地方性にある。雅と鄙、太陽の集約性と平等性にもかかわり、人間の存在の根本命題となるので、当会の研究テーマとしている。この時から千有余年、一族はこの東総の地を世界の最東端とみなして日奉精神[両義性]の顕現[神霊]に努めて来た。

 つぎに、日奉創発の会の『創発』について・・・種々の活動分野で希望を抱きつつ努力している人々が混在し影響し合う環境の中から、予期することの出来ない素晴らしい価値が生まれること[プリゴジンの散逸構造]を意味している。例えば、新入社員が自己の未来に希望を抱き互いに切磋琢磨し人間として成功して、その会社を代表する人物になる過程がある。この現象も、日奉精神の根底にある国家体制[弥生的・大和的]とカオス[縄文的・蝦夷的]の境界における価値創造力と係わる問題で、当会のテーマである。・・・・チューリッヒ大学のファイファー教授は「創発(emergence)」とは、人間や動物やロボットの思いがけない完全には理解し得ない行動で、内部に含まれない特性を持ち、環境との相互作用で生まれる振る舞いをいう」と述べている。

  ちなみに、会の紋章(crest)

は、

中国河姆渡(カホド)遺跡より出土した7500年前の稲作太陽信仰『双鳥朝日象牙彫刻』[双分組織]の絵を基に、当家の家紋『二つ引き両』[水平線上に昇る太陽、平家物語:巻7、一二の懸]を配して作成した。

  日奉創発神社[悟りの極致:住法位の顕現の願いを奉る]

 当家千有余年の東方指向の終着点である。真正面東方の太平洋上空に春秋分節の太陽が昇る。若水を汲んでいると全方向の地平線から赤外線が放出され、命を感じる。