心の二相系

天照大神の誕生と日奉精神   HP

人類究極の理想、それは宇宙の真理      日奉大明神38代平山33世高書

 1992年11月22日から勉強会を重ねて,その間に利用したテキストの内容は全世界のあらゆる分野の超一流の人々の書かれたもので、それらを理解することはなかなか難しく十分に説明しきれない場合も多々あった。このことは最初から予想されたことで、その欠陥を乗り越えるために同じテーマを別のテキストで繰り返し繰り返し学ぶことによる時の経過の創発力に頼ることにした。昔の木造家屋では、囲炉裏や竈からの煙で汚れた室内を雑巾で何百年と毎日毎日拭き清めていたので、何処の家を訪ねても柱や廊下が黒く鏡のように輝いていた。「点滴 石を穿つ=雨だれでも石に穴をあける」ということは、ほとんど価値がなく見える行為でも繰り返すことによって大切な価値が生うまれることを意味している。

 最近、若い人に勧められてエンヤという人の音楽を聞きいた。その幽玄な調べに感動したが、その原因は彼女自身が何百回も歌ったものを重ね合わせて録音することによって得られた効果であると説明された。彼女は永遠の愛[宇宙の真理]を求める心をこの小さな地球から遠く宇宙の彼方に歌いかけようとしている。その意志が宇宙に遍満している永遠の愛を彼女の歌に宿らせコダマして私達に伝えられるから、彼女の歌の幽玄な調べが生まれている。エンヤの住むアイルランドにはケルト時代以前に日本の縄文時代の渦巻き紋様と同じ紋様[ニューグレンジ]があちこちの遺跡にある。この渦巻き紋様はほとんど同じルートを繰り返し辿るうちに無限小から無限大に、無限大から無限小に変化出来る時空の演出力を示している。毎年12月の中旬の夜空に獅子座流星群を見上げるのだが、獅子座方向に散乱している宇宙塵との壮大な遭遇に心を奪われる。また、四季の訪れに夢を抱くことも、モンスーン地帯に住む日本人にとって大切な生甲斐である。これらの出来事は地球の公転軌道が時を正確に刻んでいるから起こる現象で、時空の演出力が作用している。一方、祖母ー母ー娘ー孫娘と時代を受け継ぐ人々はそれぞれの一生の中で同じような問題に悩み・楽しんでいるのであるが、このことは時代を隔ててほとんど同じ人生を送ることが人類生存の基本構造であることを教えている。生物界のDNAの働きも、同じようなことを繰り返すことの尊さ[宇宙の意思]を示している。宇宙空間における人間の生存にとっては、その人が偉いとか優秀であるとかは枝葉末節の事象で、親と同じような顔をして明るく元気に与えられた時空を生きることが最も大切なことになる。

 未だに理解出来ないものにシュレーディガーの波動方程式(1926)というものがある。超一流の量子物理学者である彼は幅広い分野を研究することで後のDNAの発見に繋がる理論的基礎をも確立した。彼は信頼出来るものは知識の普遍性[universality]だと言っている。私の住む県名の千葉という言葉は葦の生い茂った平原[地方によっては蔦の葉]の力強さを表しているという。その葉を一枚一枚比較すると少しずつ違いますが、無数に集まるとその普遍性が強調され、モンスーン地帯の豊富なエネルギーの躍動を表現している。同様なことを縦の時間軸で見ると、祖母ー母ー娘ー孫娘がそれぞれが生きた環境との間で過ごした時の重層的蓄積が見えて来る。そこに宿る普遍性の創発力を風土といい文化と呼んでいる。

 アインシュタインは日本での講演旅行を終えて門司港より出航した際(1922年)に「日本国民は地球上で最も謙虚にして篤実であり、これほどまでに純真な心持の良い国民に出会ったことがない。建築絵画も自然にかない、一種独特の価値がある。どうか欧州に感染しないでほしい」と述べている。しかし、タゴールの感動した日本の風景をも含めてアインシュタインのこの希望は、その後吹き荒れた軍国主義や資本主義の嵐によって瀕死の状態にある。この美しい日本の心の再生は、今後到来すると思われる知識尊重社会を品性のあるものにするのに重大な影響を与えることになる。

 アイルランドと日本には歴史上多くの共通点がある。アイルランドはギリシャ・ローマ文明の西の果てに位置し、ジャガイモ飢饉で新大陸に渡った者の子孫達は世界最大の経済大国アメリカ合衆国を指導し全世界を支配し、本国に残った人達からはビートルズやエンヤ等の芸術家を排出している。日本も中華文明の東の果てに位置し、第二次世界大戦の敗戦後の平和憲法の下で世界第二の経済大国になり、あらゆる芸術活動で人類の発展に貢献している。この二国の間の大きな違いは、アメリカ合衆国が大陸の持つ古い風土の上にアイルランドを始め世界各地から渡来した人々[故郷に捨てたものが大きい]が短期間に合理性を追求した国であり、日本は列島上で培われた縄文の感性を伴う風土に上に弥生期から律令期という長い期間をかけて合理性[故郷を捨てきれない]を追求した国である。このため日本では「もののあわれを知る」[エンヤも歌っている]というような総合的知性を維持することが出来た。現在はアメリカ合衆国一極主義が指導して全地球を分析知的価値観で覆っているが、人類の歴史を見ても永遠に存続した思想の例はなく、近い将来には古来から日本人が大切に思い、しかも宇宙のあり方に適合している総合知的価値観の重要性が台頭して来るものと思われる。

 今上天皇の「国旗・国歌は余り強制しない方が良い」との発言や昭和天皇の靖国参拝に対する姿勢は、TVや新聞を通してしか知り得ないので真相は良く判らないが、伝わってくる心のあり方は理想的に人間的であって、職業政治家や職業学者では到達出来ない人間としての最高の知性が感じられる。長い歴史を通じて日本人の総体が無意識のうちに大切にして来たものが、この理想的に人間的な心であって、全国の片田舎の老人達が折に触れて現わす美しい心[フアストの新世界]そのものなのだ。アケメネス朝ペルシャ・ギリシャ・スキタイで発達した統治手法が中国を経由して日本列島に伝わった時、その風土はこの理想的に人間的な心を天皇という形で表したいと願って来たのだ。例えば、中臣氏が藤原氏になって栄華を極めた見返りとして各地で集めた日本の心を天皇制の中に放出した。

 天皇と一心同体とされる天照大神の誕生過程から更にその深遠にある縄文精神の中空構造[対構造]を辿ることが宇宙空間に遍満する宇宙の愛[真理]に遭遇することにつながり、人類の未来の理想を知ることになる。惜しことにこの分野の研究は大化改新以後の過度に論理化された事象を基礎にして推論することに重きが置かれている。それでは精々三輪山上や二見が浦に上る太陽の神性を論じるという西欧的思考の領域から脱出することが出来ない状況にある。 岡田精司によると日奉部についての研究には、民間の太陽信仰説[津田左右吉]や、地方に神秘な力を伝えた一族説[折口信夫]や、天照大神成立以前の皇室の太陽信仰説[直木孝次郎]や、天照大神成立以前の中央の日祀説[今谷文雄]がある。

 日本列島の八百万神の総合知と朝鮮半島から渡来した支配層のタカミムスヒの分析知の軋轢が起こった頃、中国大陸では、五胡十六国(304-439)時代で五胡と呼ばれる北方遊牧民の圧倒的分析知が華北へ侵入し、439年に鮮卑族の北魏によって統一された。この北方遊牧民の活動が、高句麗・百済・新羅・加羅・倭の国家形成に影響を与えた。313年には高句麗が楽浪郡、次いで帯方郡を滅ぼし、漢王朝の分析知を学んでいた楽浪・帯方郡の官僚等の知識層が倭に逃避したと考えられる。414年の「好太王碑」は朝鮮半島での高句麗と倭の接触を示している。この時の倭の敗北で大和王権の交代が起こったものと推定される。崇神王朝とそれに代わった河内王朝は共に、匈奴の思想である朝鮮半島の天孫降臨思想を取り込んだ王朝で、それまでの多神教の日本列島とは異なる思想が移入された。両王朝[二つとは限定できないが]共に朝鮮半島とは共通のタカミムスヒを祖先神としていた。この時代以前は、造船技術の限界から対馬海流を横断することが難しかったために、朝鮮半島の情報は出雲以北の日本海沿岸に到着または漂着していた。そのために、オオクニヌシという半島系・大陸系の男性神の論理性が、先に列島全域に分布していた多神教太陽神の連合へと影響を与えていた。それ以前は、大陸に夏・周王朝の論理性を敬遠して、中国大陸南部や太平洋諸島から女性太陽神やモノ・マナ思想を持った人々が長い年月をかけて日本列島に移住し全域に定住していたものと思われる。

 朝鮮半島から移入された一神教的タカミムスヒ(4世紀)を大王祖神とする体制では、日本列島の多神教氏族連合の満足は得られなかった。そこで、崇神王朝では三輪山に氏族連合のオオモノヌシを奉り、河内王朝では伊勢にオオヒルメを奉って氏族連合の妥協をはかったが、体制側と連合側双方にとって十分ではなかった。継体王朝の敏達大王は天孫降臨思想と中国から新たに輸入されつつある天帝思想に対抗するために、列島独自の唯一神を創造する目的で日奉部(577年)を創設して従来からのオオヒルメ思想の補強を試みた。この頃の大王家の祖神はタカミムスヒであり、日奉部も日常は朝鮮系の太陽神タカミムスヒの祭祀を手伝っていた。しかし、大王が日本の東端の下海上国族長[私の屋敷を拠点としていた可能性が強い]を他田宮に呼び寄せた理由は、大陸の分析知の影響の少ない日本列島最東端の古来の太陽信仰を取り入れて日本独自の太陽神[後のアマテラス]を作り出すためであった。この裏には、中臣氏による下海上国の領地への新しい神領[香取・鹿島]の拡張政策が隠されているが、ここでは省略する。その後、壬申の乱(672年)で日本列島の統一に成功した天武天皇によって、祖先神を北方ユーラシア系王権神話[新モンゴロイド]のタカミムスヒから新しく作られたアマテラス大神[旧モンゴロイド]に強引な乗り換えが行われ、伊勢神宮を頂点とする日本列島の多神教の統一が見かけ上は完成したが、その頂点には神官として藤原氏の一族が座った。これらの複雑な出来事が、古代から天皇が一度も伊勢神宮を参拝しなかった理由であろう。明治2年に天皇が初めて伊勢神宮を参拝したと聞いている。このことは明治維新を成就した人々が如何に軽薄な人々であったかを示していて、この後に戦争を繰り返し、ついには敗戦してアメリカの精神的属国に成り下がってしまった。天皇族[志貴皇子に始まる現王朝]が1000年を超える時間をかけて、伊勢神宮からの距離を保って来た心の奥底を見る人が居て欲しかった。   

《天照大神の誕生》
女性太陽神 縄文時代 日本列島各地に多くの女性太陽神…アマテラスの祖形・オオモノヌシの信仰
北方ユーラシアオオクニヌシ AD250年頃 中国春秋戦国時代以来の論理化の余波、北方ユーラシア的シャーマン卑弥呼の登場
皇祖神タカミムスヒ AD300-400年頃 太陽信仰をオオモノヌシに集約した三輪王朝
皇祖神タカミムスヒ AD400-500年頃 全国の太陽信仰を男神伊勢荒祭宮[猿田彦]に集約した河内王朝
皇祖神タカミムスヒ AD507-671年 儒教・仏教に対抗して太陽信仰[日奉部・聞得大君等]の見直して女神大日霎貴(オオヒルメムチ)に再集約した継体王朝
皇祖神アマテラス AD672-712年 女神大日霎貴を伊勢に祭って天皇が現人神となる天武王朝
皇祖神アマテラス AD712−720年 女神大日霎貴を天照大神と呼び代えて古代神話が完成・明治維新後に正式にアマテラスが皇室の祖先となる

 女神天照大神の成立時代[AD700年前後]は、中国大陸に統一国家[夏・周・秦・漢・北魏・隋・唐]が盛衰したことによる動乱から逃避した人々が、縄文人の日本列島[各地方に女性太陽神]に渡来して来た時代の末期にあたる。この時期には朝鮮半島を経由して文字・儒教・仏教・道教・暦・漏刻等の論理性が雪崩を打って伝来したために、縄文期の環状集落や玦状耳飾に代表される中空思想による受容体では、続々と外来した論理の受け止めきれずに崩壊した時期にあたる。ホモ・サピエンスの宿命[知性・叡智の追求]に従って、社会は論理化の方向に急速に進まざるを得なかったことも作用している。このため、敏達大王の改革も表面には現れずに歴史の波に消えた。その混乱の中から、壬申の乱を勝ち抜いた天武天皇によって日本国とアマテラス信仰が作り出された。

 縄文時代の日本列島には、モンゴロイドの一族の倭族が住んでいて、彼らは、中国社会の論理化を避けて大陸の東北や南の半島や太平洋の島々に移り住んだ人々と同族である。その末裔である日本人は論理性を追求するよりは自然の中で平穏に日々を送ることを好んでいた。更に幸いなことに、日本列島では稲作という比較的自然環境を破壊しないで太陽エネルギーを固定する手段に恵まれ、遊牧や他族の征服という手段に片寄らなくてもそれぞれの生活を楽しむことが出来た。この日本人の心が、天照-天皇や公家-武家等生活のあらゆる面に二極構造を生み出し、明治維新までは人間としての全体性がなんとか保たれていた。その日本人の心の残照を見たのがラフガデオ・ハーンやアインシュタインであった。

 この雪崩を打って到達した論理性が日本列島に住む人々の心に変化をもたらした最大の影響は、暦や漏刻の伝来によって「時」というものが昨日-今日-明日と流れることを確信したことである。この時代以前は、道元禅師が正法眼蔵有時巻で説いているように、「時」は全存在を存在させている働きであると認識していて、流れるものという認識は薄かった。昔、スコットランドのエジンバラに住む知人を何度か訪ねた折に、列車の窓から北海に面した牧草地の牛を見て思ったことがある。氷雨の中で寝転んで反芻している牛が数年を隔てても同じ位置に同じ姿勢で寝転んでいるように見えてならなかった。あの牛は今列車が通り過ぎているのは認識しているだろうが、次の列車の通過を予想したり過去の通過を思い出したりはしないのであろうかと他愛もないことを考えた。縄文人はどのように過去と未来を現在に重ね合わせて「時」を認識していたのであろう。もとよりホモ・サピエンスを自認する人類だから縄文人とはいえ左脳を十分に発達させているため、牛よりは複雑な環境認識をしていたことは確かである。暦や漏刻の伝来による「時」の認識の変化が、社会を総合知から分析知へと導いてしまった。

 道元は、存在が見えるようになる縁起には「時」が関わっていることを知るのが大切だと説いているが、私達が通常認識している昨日-今日-明日と流れる「時」の性質[刻時]の存在も認めている。残念ながらアインシュタインの相対性理論を理解出来ないでいるが、質量エネルギーには「時」が潜んでおり、電磁波と共にビッグバンとは「時」[宇宙の意思]の生成であったと思える。この「時」の性質が二つなのか多数なのかは、人間の脳が右脳と左脳に分かれているだけなので何か他の方法で認識する以外に知ることが出来ないが、人間の存在を考える場合には、宇宙の意思が人間に右脳と左脳を与えているので「時」の二相系に着目すれば事足りる。牛の話や縄文の環状集落での人々の生活を考えると、生物体の感覚器官はもともと有時を感じ取るように出来ていて、人類はある時代から主に左脳を働かせることによって現代人が文明と称する虚構を築いて来た。

 6世紀後半の敏達天皇の排仏思想は、古来から日本列島に伝わる「時」の認識[有時]が、当時伝来し始めた伝来した仏教の表層に現れていた論理性を受け付けなかったことを示し、「日本書紀」に記されている577年の日奉部と私部の同時の設置の記述はは二つの思想間の妥協の産物であろう。その後の日本史はこの有時を比重を置く思想と刻時に比重を置く思想が弁証法的展開を続けて来たが、次から次へと高度な論理性が渡来して、ついには明治維新そして敗戦[最高神マッカーサー]と続き、日本社会の表層は刻時に比重を置く思想に覆われてしまっている。しかし、文明の最果ての地に住む日本人は地理的必然性から右脳の働きによる風土を積み重ねて来たために、現在でも日本社会の根幹または低層には有時を比重を置く思想が生き続けている。このことは東日本大震災で被災された人々の発言の方が、政治に携わる人々の発言よりは美しい場合が多いことからも分かる。

 今日、世界を制圧している資本主義社会が今後それほど長く続くとは思えない、かと言って直ぐに理想的社会が実現するとも思えない。ただ人類が歩む方向は「時」の二相系の中庸点を見出す努力を繰り返すことになるのは確かだ。その努力が日本の歴史そのものであったことは、今後の人類の発展にとって日本の役割が重要なことを示している。