クォ・ヴァディス     HP

 『クォ・ヴァディス・ドミネ[主よ、何処へ行き給う?]』の要旨・・・19世紀後半の変動するポーランド社会環境の中でキリスト者シェンキェビッチが、ローマのヘレニズム社会[古典ローマ精神]がヘブライズム[キリスト教精神]化する歴史を小説にしたものであります。ヘレニズム社会を暴虐な皇帝ネロと知的美徳の貴族ペトロニウスで代表し、ローマ社会がキリスト教に蚕食される過程をキリスト者リギアの愛によるローマ武士ヴィニキゥスのキリスト教への改心で代表しています。このフィクションの圧巻は、皇帝ネロによって焼き尽くされるローマから逃げ出したペテロの脳にキリストが現れ、ペテロは地にひれ伏して「主よ、何処に行き給う?」と問うと、「あなたが我が民を見捨てるなら、私はローマに行ってもう一度十字架に掛かろう」と答えました。それを聞いて、ペテロは地に伏して動けなくなり、やがて立ち上がってローマに帰り、衰退して行くヘレニズム社会の中で布教し十字架に掛かることによって、ヘブライズムの興隆をもたらしたという箇所であります。この小説で暴君ネロを虚構していることは、中国史の「夏桀殷紂」や日本史の「スサノウ・武烈天皇」と同様に物語性が強く、史実とは別ということのなります。

 父は、昭和の初めから農村医療の普及に努めていました。ようやく昭和12年に厚生省が設立され、都市の企業では健康保険制度が芽生えて来ましたが、いつの時代でも同じですが、田舎の医療環境は劣悪なものでした。当時は、どこの村で赤痢が、どこの部落でパラチフスが発生した等々の電話が毎日のように入り、ある時は東京に電話して薬を探し、自転車に乗れる青年に汽車で薬を受け取りに行かせるという、今では想像も出来ない苦難が続いていました。しかし、この基礎的課程がないと、田舎での健康保険制度など動き出すことすら難しかったと思われます。日本が戦争に向かう時代背景の中ですから、周りの人々にはユニークに見えていたようで、父には直接諫言出来ない人達から、やめた方が良いと伝えるように説得されたこともありました。今にして思えば、日奉精神の継承者としては必然の行為で、山林の伐採等によって寺社を中心とした集落を開発して来た日奉族の歴史の近代版ということです。釈迦の空性は、利他行によってのみ、この世に現成するわけですが、同様の思考が縄文精神[日奉精神]の中にも宿っていたことを示しています。

 日奉精神は以心伝心の性向が強く、遺言や遺書は当家の歴史を通じて存在していません。このために、医療の事情を十分に知っている父が何故に入院を拒否して、あの世に行ってしまったのか、その理由は私への疑問として残されました。秋の陽を受けて庭の向こうに消えて行く父を見送りながら頭に浮かんだのは、ジャン・ジオノの『木を植えた人』の物語でした。「南プロバンスの荒れ地に1日100個のドングリを数十年植え続けて森を育成した老人が、何も知らない若い森林監視官に自然林の中で焚火をするなと注意される」件を思い出していました。しかし、何年か経って『クォ・ヴァディス・ドミネ[主よ、何処へ行き給う?]』の古本が、父の最期の枕元に置かれていたことが気になり出して、その本を残した意味を考えるようになりました。鬼畜米英を騒ぎ立てていた日本社会の中で、農村での健康保険制度の実現に努めていた父の姿を、燃え盛るローマに帰って人々を救済したペテロに擬えて見ましたが、この考えでは、日奉精神から見ると浅薄過ぎるように思われました。ヘレニズム世界が新興のヘブライズムに侵食され、その後はヘブライズムの支配する時代が続きましたが、地動説や産業革命の時代を経て、ヘレニズムの末裔である科学や経済学が復活し、現代欧米文明が生まれて全地球を支配しています。この地球上の時空の流れの始まりの出来事を、シェンケビッチはクォ・ヴァディス・ドミネ[主よ、何処へ行き給う?]』の中で説き示しています。ハムラビ法典の東洋思想への影響等も考える必要がありますが、ヘレニズムの大乗仏教への影響やヘブライズムの神道への影響を基礎にして、原始仏教の「空」や量子力学の「場」の思想を取り込んだ新しい文明の枠組みを構築しなければ、全人類が欲望の虚構の中でピエロを演じ続けて、遂には滅亡に向かうことになってしまいます。父は、この辺に事情を見越して、クォ・ヴァディス・ドミネを残して行ったものと考えています。