東日本大震災と日奉精神         HP

東日本大震災と日奉精神         HP                                                              平山高書(38代)

 全身麻酔から覚めて一月半が過ぎ、ようやくPCに向かう気持ちになりました。麻酔から覚めて数日間は体内時計が速く進んでいたようで、病院のベッドで30分程度のうたた寝から覚めるたびに、次の日になったと思う異様な精神状態を体験をしました。そのような状態の中で見た夢は、金色に輝く四角いトンネルが先方で右に直角に曲がっている中を車椅子に載せられて進んで行き、左右の壁には今までに見たことのない象形文字が沢山書かれていて、車椅子の脇に付き添う男性から「どうしたら読めますかね」と問われて、「心で読む以外方法はないでしょう」と答えるような情景のものばかりでした。それから数日後には、「人間が生きるということは、空間と時間の乖離[不確定性原理]している初期の宇宙の状態の中から物質が生まれたことによって、見かけ上の空間と時間の一致[宇宙]が生み出されたメカニズムを追及しなければならない」と夢の中で教えられました。宇宙の誕生後、長い長い時間をかけて、複雑な物質構造が作り出されて生命を生み出し、ついには私達人間を作り出して宇宙と対峙する生命体[人間原理]として存在させています。このようにして、エネルギーという形態で時間を閉じ込めているあらゆる物質間の共鳴による創発が、宇宙の終極の価値のようですが、物理学者の言う時間には虚時間等数種類があって、科学のような分析知の領域では生命存在の謎は永遠に解けない構造になっています。そうだとすると総合知である「色即是空、空即是色」の世界で、人間の存在を解く以外に方法はなさそうです。

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 会員の方はすでにご存じの通り、この勉強会では、会場の雰囲気は勿論のこと、各会員が家を出てから会場までの道すがら五感に触れる四季の空や花の創造力の方が、学習の内容より尊いと申し上げて来ました。この度の大震災で瓦礫となった町の中で、芽を起こして咲く花々をTVで見る度に、昨年までその花々を目にされて未来への希望を寄せて来られた方々の姿が想像され、それぞれの地域の風土はこうした方々の日常生活が紡ぎ出しているものだと再認識しました。

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  2011年3月11日14時46分に宮城県沖で大地震が起って、震源域は岩手県沖から茨城県沖に広がった。日本地震観測史上最大のマグニチュード9.0の巨大地震となった。私は炬燵でパソコンを打っていたので、そのまま寝転んで揺れ動く天井を眺めながら振動の収まるのを待っていたが、中々静かにならないので、これは並みの地震ではないと思い、中廊下を通って安全な平屋に行き、ガラス戸を開けると地面が波打つように動いていた。間もなく停電となったが、すぐに非常用発電機が稼働したので問題はなかった。TVを通じて被災地の状況を目にするたびに、我知らず涙が頬を伝わった。

 後日、東京都知事がこれは天罰だと言って取り消したことや、大型防波堤は破壊されたが3分間程度津波到達を遅らせたので、防波堤は役立ったのだと建設関係の役人が強弁したことに対して、その防波堤の安全神話に誘われて移住して来て家族を失った人が激怒していることも知らされた。その後の福島原発の事故からは、日本の最高の科学者達の無責任な習性までもが明らかになった。例えば、都知事の発言は、人として役職にいる人として不適切な発言であることは確かだが、一人の天才が天罰という言葉で表現しようとしたものは何であったかを探究もせずに、軽率に流転する日本の知識人社会の方が末恐ろしことに気付かなければならない。今回の津波によって工学系学者の知能の限界が明らかとなったが、もっと致命的な欠陥は日本社会に適合した政治システムがないということである。明治維新以後、西欧文化を物まねして多くの分野で見かけ上は成功したが、政治学者の怠慢で日本人の心を具現してしかも情報機器の発達した現代社会に適合出来る政治システムの開発が全くなされずに、未だに衆議院だ参議院だと無駄な時間を費やしていることである。これでは誰が首相になっても良い成果が生まれるはずがない事態に陥っている。アラブの春やアメリカ市民のデモは、資本主義の制度疲労と情報社会の民衆意識の変化がもたらす巨大な津波の前兆で、将に[西欧の没落」の始まりである。 

 今回の大地震で、ここ5000年をかけて築き上げた人類文明の成果が一瞬のうちに破壊されて仕舞ったが、計り知れない悲しみの向こうに、自然が私達人類に語りかけている何かがあることは確かである。6世紀の日本列島社会が論理性社会へと急変することを懸念して、日奉部を創設[AD577]した敏達天皇、その甥に聖徳太子がいる。彼については異説も多く、最近の教科書では厩戸王子と記されているようだが、敏達天皇の皇后推古天皇と共に仏教[当時の論理性]を日本に広めた人物である。その彼でさえ遺言として「世間虚仮、唯仏是信」という言葉を残して、論理性から離れようとして新しい論理性に捕捉されている。敏達天皇であれば「世間虚仮」までで止まっていたであろう。社会はあらゆる分野に虚構[現代では資本主義・民主主義]を構築することによって成り立っているが、その虚構を妄信してしまう人が多く、歴史上幾多の問題[大東亜戦争や現代日本社会]を引き起こして来た。一般の人にとっては虚構の中で全力を尽くすことは尊いことで、また社会の存立にとって必須のことだが、少なくとも優れた人々は虚構はあくまでも虚構であるという認識を保ち、古い虚構から脱皮し新しい虚構を創造することを間断なく続けることが大切である。

 以前、当家で保管している古文書に基づいて「安政東海南海大地震」と題するパンフレットを発行して、近々東海南海大地震の再発生が予想されている静岡県から高知県の市町村に配布した。また、父の日記から関東大震災」に関わる部分を抽出して、パンフレットを作成して大地震の発生に至るまでの大地の呼吸を伝えた。その他に、火山爆発の記録として「浅間山爆発」時に、当家に寄せられた古文書の一部をHPに掲載して置いた。この関東大震災の後に組織された東大地震研究所が発行した「日本地震史料」には、宇佐美達夫教授が当家を訪れ収録された地震の記録が多数載せられている。この東大地震研究所の創設に関わったと聞いている叔父で東大工学部関信雄教授の指導で建設された家屋が、つい最近まで屋敷内にあった。コンクリート基礎の上にコールタールに浸した約25×15a角の椎材で土台と筋交いが組まれていて、解体の時にユンボがその上に乗ってもビクともしなかった。これらのことから、古来日本人は、自然の驚異から学ぶことを絶え間なく続けることが重要であると考えていたことが分かる。

 日奉精神の歴史については他のページで検討しているので、ここではその内容について考える。人類が全宇宙との関係で自己を考えるようになったのは、クロマニヨン人と呼ばれる人達が活躍していた頃[DNA配列にFOXP2が誕生]に始まった。彼等の壁画は、自己の経験した過去の自然の驚異を洞窟壁に描き留めて、未来へと伝承する文化を創造した。その中のアルタミラのマカロニと呼ばれている抽象壁画は、人間の右脳と左脳の二極構造が捉えた時空間[宇宙]の曖昧性の創発力を表現したもので、人類が神[宇宙の意思]を意識し始めた痕跡であろう。この時空間の働きを捉える抽象画は、その後に単独渦巻紋へそして二極構造渦巻紋へと発展して、宇宙の意思と人間の脳の交感という神の意識[梵我一如]を図形として表現するようになった。時代が下って中東地方で文字が誕生し、宇宙の意思を論理的に表現する人々が出現して、先住民が捉えた神の意識を吸収し、人間の欲望をも満たすような論理性を付加した宗教が創出された。このためにクロマニヨン人に源泉を持つ壁画を描く集団は、新しく誕生した論理的宗教の影響から逃れて、アフリカ・メソポタミア・インダス・南アジア・オーストラリア・ポリネシア・中国・日本・アメリカ大陸へと展開して、各地に無数の岩画[ペトログリフ]を残した。文字の使用を獲得した新集団は、先住の壁画を描く集団を追って東進し、四大文明と呼ばれる繁栄をもたらしながら、各地で現在の世界宗教を誕生させた。

 クロマニヨン人のこころを継ぐ日奉精神は、スンダランドから華南・南太平洋に進出した古モンゴロイドの精神でマナ・モノともいい、縄文時代以来日本列島に住むすべての人々の心に潜在している精神である。日本列島では、五経博士・千字文・仏教等の中国大陸の論理性の渡来期(AD550年前後)に、人間の身体の抗原抗体反応のように中国大陸からの新参の論理性に対抗して、南関東の武蔵国と下海上国に日奉精神が顕著な形で現れた。この南関東の精神を当家の祖で武蔵国の国司であった日奉宗頼が育成・保護したために、彼の地位と理想実現の意志とが齟齬をきたし遠流になったという。この日奉精神を継ぐ平山季重も源頼朝の配下に属しながら、幕府支配の論理性[貴種の支配]からは徹底して距離を取っている。平山季重の場合、平家物語等の作家達が一の谷の合戦等の武勇を美辞麗句で宣伝し、後代の人々が反省もなくその流れを受け継いで武勇な一面のみを強調したために、彼の思想に宿っていた両義性[曖昧性]の創発力を論じて、人間とは何かを説いた人はいない。このことは学問という論理性の中で社会現象の表層を追い続けた結果で、歴史学者の責務の欠如ということであろう。歴史学者であるならば、今回の大震災を踏まえて人類の未来の希望につながる理想社会を語ってほしい。平山季重の孫の時代に日蓮という天才が現れて、法華経の精神に従って南関東古来の両義性精神を汲み取って仏教の日本列島化を完成させた。

 日奉精神の本質は事象の曖昧性の創発力[空性]にある。銀河とアンドロメタ銀河の対構造や、DNAの二重螺旋構造の空間を貫く時間の作用を例に引くまでもなく、曖昧性の創発力は宇宙の意思の基本構造である。大江健三郎はノーベル賞記念講演「あいまいな日本の私」の中で、先に同じくノーベル賞を受賞した川端康成の受賞記念講演「美しい日本の私」について、道元禅師の「春は花 夏ホトトギス 秋は月 冬雪さえて 冷(スズ)しかりけり」と、明恵の[雲を出でて 我に伴う 冬の月 風や身にしむ 雪や冷たき」の二首を引用して、東洋精神の神秘性に美を見出しているが、そこには英語でvagueという曖昧性が存在すると述べ、大江自身は、大陸侵略を行った明治維新以後の日本人と、原爆被災者としての日本人との間に漂う英語でambiguousという曖昧性を取り上げ、川端のvagueという曖昧性では現代日本精神には適合しないと論じている。もとより、日本最高峰の二人の天才の美意識であるから私の理解を超えたものであるが、川端の禅的美意識は、明治以後の人達が宮本武蔵の五輪書の精神を「もののふの道」と錯覚したのに似ていて、論理性が超越しているために日奉精神が敬遠して来た意識である。また、大江の日本精神の美意識は、多くの西欧の著名人の言葉を駆使して日本精神の曖昧性を捉えようとしているが、結局は彼の理論は「あいまいな西欧の私」とした方が分かり易いのではなかろうか。根本的には、東大卒でありノーベル賞受賞者という超高度な論理性のケージに入った両者が、日本列島の風土に宿る曖昧性を考えるから、曖昧性を論理性の頂点に置くことになるのではなかろうか。しかも、両者の論の欠陥は、論理性と精神性の混在する時空の曖昧性の持つ創発力の崇高性を説いていないことにある。ここまでは少し言い過ぎかもしれないが、この度の大津波で、見る影もなく潰された原発や防波堤の建設に関わった学者達の論理の限界を知るにつけ、比較的に低いレベルの論理にこそ真理が宿っているのではなかろうかと思う。

  私が日奉精神に触れるようになったのは、1942年頃からと記憶している。その頃までは、東総地方は中国大陸の戦線から遠く離れいるために補給・訓練地帯であって、比較的にゆっくりとした田園の時が流れていた。しかし、アメリカとの国家的対立が表面化し、海軍省直属の香取海軍航空基地[干潟飛行場]が建設されることになり、父[37代]が古城村長に担ぎ出されて、予算の少ない海軍航空基地建設に対して土砂・水源・電力ルート等々の提供を秘密裏に支援することになった。日奉族の理想郷として、江戸初期には鏑木村、次いで万力村が加わり、後に大寺村の新村秋田村を加えて古城村へと発展していった。村の経営の費用は、形式的な天領や村という制度は存在したが、江戸初期には下総・相模・武蔵に古来日奉族が所有していた森林の伐採[古モンゴロイドの経済の基本形:水の再生エネルギー]によって、明治時代に入って村落に人口が増えるに従って、その土地の売却という再生力のない方法によって拈出されていた。

 明治維新政府という財政基盤の弱い西欧文明盲従組織が作られ、江戸末期に冷害・火山爆発・地震等の天災で疲弊していた関東以北の地域のエネルギーの収奪がはじまった。その影響で、学校建設・郵便制度・戦費拠出・鉄道建設・農地解放等への負担が当家にも波状的に押し寄せて来た。すなわち、江戸中・末期に多発した天災によって東日本が疲弊状態をにあった虚を突いて、被害の少なかった関西系の人々が西欧文明を盾にして巧妙に日本を支配したのが、現代日本社会である。昨今、貞観地震(869)について騒がれているが、この地震に続く天災で疲弊した東日本を、蝦夷征伐と称して関西系の人々が侵略した時代であり、この現象は現代日本とよく似た社会現象である。この時代が過渡期文明であったことは、後の武家社会の出現を見れば明らかで、現代日本文明もアメリカ文明の翳りを見るまでもなく過渡期文明である。現代に生きる日本人は、人類のかつて経験したことのない文明[論理性に偏らない]を創造する義務を負っている。戦時中にアメリカにオッペンハイマーという超天才がいて、原子爆弾を作っていると聞いていた。彼は後に精神病で死んだらしいが、彼の一生を見れば現代人類が信奉する論理性の限界が見えてくる。敗戦直後の社会の中で日本人があまりにも軽々に鬼畜米英思想から欧米礼拝思想に変身したことで、広島・長崎への原爆投下は鬼畜米英思想の中での事象だが、いつの日にか欧米礼拝平和思想の下でも巨大な被害を伴う原発事故が起こると主張した人がいた。ヒンドゥー教の聖典[バガヴァッド・ギーター]の一章に「私[バガヴァッド]は世界を滅亡させるカーラ[時間]である。諸世界を壊滅させるために活動を始めた」とある。また、インド仏教の「一切衆生、悉有仏性」の「一切衆生」が、最澄・空海によって「山水草木」に拡大解釈されて、意思を持たない物質までに心があると考えられた。これは論理性から最も遠い日本人の心であり、核分裂によってエネルギーを取り出す際に生じる放射能[時間]はその物質の心である。有機体として高度に集合された時間を内蔵している動植物の生命を人工的に奪う時も同様にエネルギー[時間]が解放される。この時間の集積が人類の未来を暗いものにしている。折角、宇宙を創造して人類を誕生させた物質の存在に、人類が手を加えて動植物のエネルギーを乱用することは許されないと考えるのが日本人の神聖な心なのである。いつまでもモノ作り大国の幻想を追うのではなく、社会の空性を捉えて利他行に立脚した産業思想構造を構築する時代に突入していることを今回の大地震は教えてくれている。

 さて、日奉族として人々の生活に夢を与える虚構[村落]を維持するために、明治政府の論理的施策に従って来たが、そのために保有していた土地をすべて失ってしまった。このような村落という虚構に対する日奉族的の管理の手法は、モンスーン地帯の太陽と水の再生エネルギーに恵まれていたから可能なことであって、その実現のためには村落の管理者の素朴・質素性が必須の条件となっていた。当家34代正義の旅日記をHPに公開してあるが、その長い旅程の間を見ても、一般の人々のように娯楽に金銭を使う場面が全くないことからも、いかなる時でも自身の行動に素朴・質素性を保持していたことが分かる。したがって各世代の夫人達も女中さんに足袋を履かせても、自分は足から血が出ていても、日常生活では足袋を履かないという気概が要求されていた。この精神を幾世代にわたって維持することにおいて初めて、村落管理の虚構性がほつれた場合に村落の人々の忍従が生まれていた。父が航空基地建設に携わった頃には、古来の土地を売却して公共事業を支援する手法は不可能となり、大勢の古物商が土蔵に群がるようになっていた。九十九里浜沖からアメリカ艦隊の艦砲射撃を受ければ、漏れ聞いていたサイパン壊滅のように形あるものは消え去るので、6・7歳の私にも父の戦争という論理性から村民を守ろうとする行為は納得は出来たが、どこまで自分の家が潰れて行くのかは不安ではあった。

 父は、1931年[昭和6年]「教育会の精神」という論文を書いて、農村地帯における無料医療・教育・女性の地位向上を説き、1943年[昭和18年]から健康保険組合の組織化を始めた。全国から香取航空基地に集い訓練する若い兵士達に、当時では珍しい純白な飯…もっとも時には満州産と聞く緑の大豆が混ざることもあったが…を多量に炊き出して、戦争という高度な論理性の犠牲者としての若い兵士を支援すると共に、全国に先駆けての戦時下で農村健康保険組合を組織化するという両義性の中に、日奉精神の顕現[自己の空性と利他行]を描いていたのである。当時、公共機関や一般の家庭では、御真影という天皇皇后の写真が掲げられていて、今の北朝鮮の金日成ように写真に拝礼することが強制されていたが、父は私には拝礼をさせなかった。同様に、家には多くの軍人が連日のように出入りしていたが、御真影は桐の箱に入れて保管され一度も飾ることはなかった。敗戦後になって、それまで御真影の拝礼を強制していた公共機関で、取り外された御真影の上に掃除用モップが置かれているのを見て、大衆心理の軽薄さをつくづくと知らされた。また、義務化された教育制度について、父は「一億の人々には良い制度だが、必ずしも一人にとっては良い制度とは言えないので、学校へ行きたくなければ行かなくて良い」と筆を執って欠席届を数十枚以上私のために書いてくれていた。今にして思えば、人の世は常磁性体や強磁性体のように社会全体の流行に従って行動する人間ばかりでは成立しないということであろう。

(1947年)

診療所の前には椿の海干拓時の総掘りと呼ばれる小川が流れていて、診察を待つ患者さんがその堤に蓆を敷いて延々と続いていた。

朝鮮戦争(1950〜1953)特需で国家財政が潤う以前の劣悪な日本の医療環境の中での健康保険事業の構築。
 

 この授賞式に父は参加していない、華やかな場を好まないと言えばそうかも知れないが、祖父(36代)が貴族院に推挙された時に最後の最後で国家の論理性に取り込まれるのを避けて辞退し、村に小学校を寄贈した行為と関係している。7代季重が鎌倉幕府に属しながら朝廷側の武者所を名乗っていたことや,25代光義が秀吉より招聘された時に相州の山中に入って仙人になったとして体制への取り込みを回避したことや、29代久甫が江戸幕府を遠ざけて宮中を主体に活動したこと等から分かる通り、それぞれの時代の支配体制の論理性から距離を取るのが日奉精神の真髄である。父の葬儀の際に、保険事業の創設に共に苦労した医師から「重い車を始動させることと、動き出した車の上で活動するのとは全く別のことなのでしょう」と言われた。今では日本中で誰もが当たり前のこと考えている国民健康保険制度の草創期の話である。

 アインシュタインはじめ、最近ではホーキングまでもが、ビッグバンに始まる全宇宙歴史は、人間の脳を生み出すために存在しているという説[人間原理]を信じているという。その流れの中に、宇宙での有機物の誕生があり、DNAが登場し、原核細胞から真核細胞と発展し、多細胞から人間へと発展して今がある。この過程においても自然界の高度な知能[曖昧性の創発力]が働いているので、そのいくつかの例を以下に示す。

 上図のようにアミノ酸が連結しているタンパク質[図左部]よりは、バラバラ状態のアミノ酸の方[図右部]が安定した存在である。このために、タンパク質はそのままに放置すればアミノ酸に分解するにもかかわらず、細胞内ではわざわざ多量のエネルギーを使って不用なタンパク質を破壊して、組織内の無秩序の蓄積[エントロピーの増大]を取り除いている。すなわち、組織というものは、作るよりは壊す機能がどれだけ多く存在するかによって、長く生き残ることが出来るか否かが決まることを示している。現代社会においても法律や組織を作る際には、可能な限り短い有効期限を制定して置くことが必須条件となることを示している。この原則を守って入れさえすれば、現代の無用な公務員組織の生成を除去出来たであろう。

 また、種々の機能を持つ有機物が集まって原核細胞が生まれたが、そのDNAはタンパク質に翻訳される機能を持つ塩基配列の連続であって無駄な部分がなく、塩基配列の任意の箇所から読み始めを行うことで多様なタンパク質を生成する機能を確保している。一方、人間のような多細胞生体を構成する真核細胞のDNAは非常に長い塩基配列を持つが、タンパク質に翻訳されない部分がほとんどで、タンパク質を指定する遺伝子は2〜3%に過ぎないという。例外的に免疫細胞のT細胞では任意の読み始めが許されているために、多様な伝染病に打ち勝つことが出来き、曖昧さを伴う不確実な自己を作り出している。[最近の情報では、翻訳機能を持たない部分の機能も解析されて来ていて、重要な働きがあるようだが、ここでは省略する]このことは、一見無駄に思える部分が大半を占めていることが、高等性を生み出す基となっていることを示している。最近の情報社会を見ても分かる通り、TV・インターネット・携帯通話等の情報内容のほとんどが低俗で無意味なものばかりであるが、そのような状態が継続していないと高度な情報社会が誕生しないことになる。ただ、この誕生に欠かせないことは、地位や名誉という文明の残渣を離れたところで、人間存在の本質を探り続ける小集団が存在しなければならないことは言うまでもない。DNAや情報社会は、時空間[宇宙]の創発力が源泉となって成立している…別な言い方をすると、高等性は曖昧性の創発力に基礎を置いていることを意味している。

 細胞の発生過程では、DNAの転写でタンパク質が作られる訳だが、実際はそう簡単な過程ではないらしい。転写される箇所の周囲の細胞からの刺激を受けてサイトカインという物質が発生して、生成されるタンパク質がその部位において適合か不適合を判断して、不適合な場合は即座に淘汰されるという。この働きを都市や言語の発生について考えて見ると、日々の生活の近所付き合い等の中で同様な現象が起こっている。このことは、人間が科学を超えて誕生し生育している重要な原理ともなっている。

 私達の脳の活動にとって、見たり聞いたりすることは、例えば、DNAの有用部分[エクソン]と無用部分[イントロン]の働きのようなもので必要不可欠な過程だが、見たり聞いたりするだけでは、自分という生命がこの宇宙に存在する理由が見出せない。そこで、分析知を離れて考え見ると、釈迦の滅後何百年にわたって多数の追従者の脳および脳と脳の間で創造された思考結果を、彼等の論理性[言語]で描いたものに経典がある。この経典では生命の存在理由について、釈迦は過去世を隈なく確認してから、瞑想を深めて光明にひたったと表現している。また、常啼菩薩が修行していると、空中から声がして「東に行けば、空を悟ることが出来る」と諭されたとあり、仏教の真髄である「縁起」すなわち「空」が生命の存在理由の理解に欠くことが出来ないの重要性を持つことが説かれている。追従者達は釈迦の過去世の仏国を釈迦のDNAの故郷である古モンゴロイドの故地の原初的空性に求めている。スンダランドから北上したモンゴロイドの内、現在のモンゴル国のあたりまで北上して西方からの論理性の影響を受けた新モンゴロイド[現代の代表的東洋人]とは別に、中国南部に止まった古モンゴロイドが大切にしていた精神が、インドでは「空」として、長江から南太平洋・日本では「モノ・マナ」として残った。

 東日本大震災で明らかになった日本の支配層の不甲斐なさを訴えて、支配層に外国人を雇いたいと願う便りが入院中の私の病床に届いた。明治維新以後の日本人は、日本社会に去来する事象の虚構性を認識して、静かに自然および人々の生活に流れる時との整合性を取ることを忘れてしまったためであろう。…日本列島に住んでいる一人一人が空性の輝きを取り戻し利他的行動をとることが、終極的には全人類の未来への希望となることを示している。