[top.htm]

入退院の想い HP フロントページ

◎ 15年の猛暑のためか、このページの大半が、PC側もサーバー側も一瞬に消滅してしまった。加賀千代の「トンボ釣り 今日はどこまで 行ったやら」の心境です。 

≪成長を願って≫ 緊急入院時に、母方の先祖に当たる伊藤仁斎の『童子問』と近刊の『人間って何ですか』という本を、書棚から探し出しカバンに入れました。手術も終わったある日、担当の看護師が男子実習生を連れて来ました。彼が自己紹介をした時、看護師に声が低いと注意されていました。やり取りを脇で聞きながら、誰でも最初のうちはこんなものだろうと思っていました。次に看護師が巡回に来た時に、あの子は大人し過ぎて看護師が務まるのだろうかと、巡回した部屋の多くの患者さんに言われた、こんな場合どう指導したものかと尋ねられました。その時にベッドで読んでいた孔子の言葉[童子問上巻第12=堯舜(聖人)より途人(ありふれた人)に至るまで、その間相去ること、なんぞただ千万のみならん(大変な差がある)しかれども、その(生まれつきの本性)を論ずる時は、すなわちまた甚だ相遠からず(それほど隔たりはない)ただその相懸絶する(懸け離れる)こと、かくのごとくなる所以のもの(これほどになってしまった原因)は、みな習い(学習)によってしかり。いやしくも、学もってこれ(本性)を明らかにし、養(育み)もってこれを充つる(精一杯延ばす)時は、すなわち、皆もって悪(短所)を変じて善(長所)となすべし]を、そのまま利用して、採血でも何でもその子の得意な分野の仕事を徹底的に伸ばしてあげなさい、そうすれば必ず明るい人に成長するでしょうと伝えました。日常生活に関わる問題の場合、論語は適応範囲が広い教えです。(2014/12)

 人間って何ですか≫ 池谷東大教授の仮説によると、宇宙は、ビッグバン以来エントロピー[乱雑さ]が増大する方向に進んでいる。その過程でエントロピーを減少する形状というものが、美しく現れる。しかし、この形状は、宇宙全体のエントロピーの増大を、更に促進するための手段として現れているのだといいます。銀河・星等がそれに当たり、手洗いの栓を抜いて水を流す時に現れる渦巻き模様もその一つで、人間もこれに属する存在であることになります。そう考えると、最近の戦争法の空騒ぎや、無謀な防潮堤建設や、原発再開や、65%の人が拒否しているという裁判員制度等が、近視眼的利益に囚われた支配層が、人類の滅亡を促進している行為であることが良く理解出来ます。アイルランドの巨石文化や、スマトラの高床式住居や、縄文土器には、見事な渦巻き文様が描かれています。このことは、人類は自然界との清楚な対話を繰り返すことが、人間としての存在の意義であることを示しています。(2014/12)

 ≪電子は意思を持つ≫ 手術後の痛みを紛らわすために、ベッドで山田廣成の「量子力学が明らかにする存在・意志・生命の意味」を読みました。現代の科学者は、電子が粒子と波動の二つ性質を持つという不確定性原理を信じているが、電子はあくまで粒子で、スリッドを通過する時に波動のような性質を表すのは、通過する電子がスリッドを構成している無数の電子と対話することから生じる現象である。この電子間の対話の不確実性が電子の不確定性であり、電子に意志があることを示している。科学者が素粒子に意志があると論じているのを初めて知りました。これは歴史を変える大きな仮説で、ビッグバン直後の対生成×対消滅の過程において、どのような作用で陽電子が消え、電子が残ったのかと興味が湧きました。草木国土悉皆成仏の不確定性思想を持つ日本人として、人間の存在に希望の光を見ました。人間の意志が、水分子の働きであるということも、究極にはそれぞれの水分子自体および周囲を飛び交っている無数の電子の働きの結果であると思われます。(2015/1)

 ≪節分に思う≫ 2015年の節分は穏やかな天気に恵まれました。この地方の節分の頃の天候は大体安定していて、澄み切った太平洋上空に月がくっきりと浮かび、そして春が深まるとおぼろ月へと巡って行き、空を眺めなくなります。夕方、落ち葉を踏みしめて屋敷内を散歩しました。豆撒きの声は勿論のこと、人の生活する物音さえ聞こえない時代になっています。日本中に蔓延する限界集落現象の典型です。明治維新以後の、国土の耐力を無視した西洋文明の拝金主義による国家凋落現象の前触れと言えます。尖閣列島を失うことや、中東の石油が1滴も来なくなることや、自動車・電化製品の輸出が減少することは、国民の日々の生活にとっては大問題でありますが、日本国家が滅亡することはありません。しかし、地方の過疎化現象は、日本を滅亡させる必要十分条件を備えています。明治維新以後の西欧礼拝政策の過ちによって、故郷を離れざるを得なくなった人々の子孫が、大学や会社等という虚構によって西欧の価値観に洗脳され、今、コンパクトシティという政策を進めようとしています。国家は人間と自然で構成されています。人間だけを見ていては、結局は滅亡に向かわなければなりません。草木国土悉皆成仏の思想を創出した祖先から見て、姑息な政策であることは明瞭であります。藤原不比等や徳川家康の様な日本列島の時空が見える指導者が出現するのを待つ以外に、現代日本の幼稚な国家体制を立て直す方法はないのかも知れません。(2015/2)

霧の摩周湖≫ NHK-TVで「霧の摩周湖」を歌う前に、布施明は、東日本大震災で海に流され命を失った方々の霊が移流霧となって、釧路平野を越え摩周湖のカルデラに流れ込んでいるのだと話していました。約50年前の成田空港の建設は、航空輸送の大衆化が始まった時期で、世界の各地から長距離を飛行して来た航空機が、目的地の滑走路が濃い霧に包まれていても、晴上った日の滑走路と同様に定刻に安全に着陸出来ることが要求されていました。その要件に対応する機器の開発実験に利用したのが、釧路空港に太平洋上から移流して来る霧でありました。調査委員は釧路市内に合宿し、自衛隊のヘリコプターも参加して、霧の中での航空灯火の見え方の実験が続けられました。航空局から参加された足の不自由な係長を支援する体制が提案されましたが、本人は断られて控室で待つと主張されました。実験終了後の控室には不在でした。本人は自力で、夜の空港の草むらを這って実験の行われていた場所に向かい、方向を見失ってしまったのでした。草が倒れていたのですぐに発見されましたが、身体の不自由を乗り越えての真摯な航空の安全への取り組みと情熱が、今日の日本の航空安全の基礎を構成していることを思い出しました。この実験の後、委員の皆様とは別れて一人で摩周湖を訪れました。霧は全くなく晴上った美しい湖を一望しました。

 ≪二極構造≫ 人類社会は、あらゆる階層において、僅かに性質の異なる二グループが併存する構造を採ることによって、穏やかに発展して来ました。その性質の一例は、総合知と分析知ですが、総合知の中にも分析知が含まれ、分析知の中にも総合知が含まれている、階層的な入れ子構造になっています。各階層でこの二グループの力のバランスが絶妙に保たれている時に、理想的な社会が生まれます。アフリカのチンパンジー社会では、水の恵みの多い地域で総合知が発達し穏やかな社会を構成し、雨の降らない地域で争いが繰り返され殺伐とした社会となっています。不幸なことに人類がアフリカから世界に繰り返し拡散した時の通過回廊に当たる中東アジアが、水の恵みの少ない地域であったために、争いを基盤とした分析知が異状に発達して、各部門に争いを基盤とした文明というものが生まれました。現代人の私達は、この文明という虚構に洗脳され、その恩恵の中で生活していますから、文明から離れて人類存在の意義を見直すことは至難な状態に置かれています。幸いにも、日本列島は中東アジアから最も遠い位置にあり、水の恵みが多い気候帯に属しているため、争いを基盤とした文明を敬遠した人々の集う穏やかな民族を形成することが出来ました。このヤマトこころは、争いを避けた総合知によって構成されていて、西欧文明が圧倒的に支配する現代では無視されています。宇宙の本来の在り方からすれば、人類が到達した最高の精神であります。(2015/2/11)

  ≪日本人の精神≫ ヤマトこころは、総合知と分析知の階層的入れ子構造を取っています。68世紀の国家形成期の日本列島の支配層は、この構造の特徴に注目して、波状的に渡来するアーリア系分析知[蘇我大王系]と日本列島の古来の総合知[敏達大王系]のバランスを調整し続けました。ついには、藤原不比等や天武天皇等の大天才が出現して、日本神道[分析知]と天皇霊[総合知]という対の精神構造を構築しました。その後、藤原仲麻呂等の事件が続きましたが、曲がりなりにもこの対構造を維持されていました。しかし、源氏と平氏というアーリア思想を持つ新しい支配層が台頭したために、日奉族は縄文の総合知の残る南関東の地で、日奉精神の対構造を構築しました。この地域にも、源氏の鎌倉幕府と平氏の北条・千葉等という新しいアーリア的支配が発達しました。このために、日奉精神は鄙の地へと追い出されました。後に誕生した日蓮思想も、南房総に残存していた縄文の総合知に基盤を置いていたために、日奉族は早い時点で日蓮思想を取り入れました。(2015/2/12)

 ≪原始日蓮思想≫ 日蓮思想の二重構造について、簡単に触れて見ます。5歳前後の頃、父より中国の天台智の摩訶止観の話を聞かされました。その時には、人間は生まれては死ぬだけなのに、何故これほどまでに難しく考えるのであろうかと理解出来ずにいました。それが北魏を通してのアーリア系分析知の影響であることは、後になって知りました。同時に日蓮の手紙についての話もありましたが、その優しさに流石はヤマトこころから生まれた思想だと感動しました。中世末期の日蓮思想には、不受不施義という論理性が重視されていました。その論理性への重要度の置き方の差によって、東総には飯高談林と中村談林が並立していました。両談林の地は日奉族の地で、飯高檀林は後北条に従った平山族の居城で、中村談林は上杉に従った平山族の居城に隣接しています。当時の史料によると当家は両談林と平等に関係していたようです。全国の日蓮宗の寺院もそれぞれに独立して不受不施義を守って、他の宗派のようにアーリア的ヒエラルキー構造は取っていませんでした。しかし、江戸城での身池対論以降は、他の宗派と同様に身延山を頂点とした組織へと変形してしまいました。この現象は伊勢を頂点とした論理的日本神道の成立とよく似た経過を辿っています。身池対論と前後して、身延には七面信仰が成長し、身延山と七面山という二極構造が生まれたものの、日蓮宗の魅力が失われて、当家は徐々に本居宣長の国学に移って行きました。(2015/2/12)

 ≪総合知側の日奉精神≫ 日奉精神は総合知の精神で、貴種と呼ばれた支配層の源頼朝・千葉氏・北条氏等の分析知の精神に対しては敬遠するという立場を維持していました。縄文太陽信仰の故地・日野周辺から奥多摩の僻地に追いやられ、戦国末期には後北条・上杉の商業的分析知に悩まされて、一族を奥多摩と東総に分け、それぞれの地域別に後北条派と上杉派を形成して難局に対応しました。その後、当家は日奉精神発祥の地・鏑木村の開発に入りました。新しく登場した徳川幕府は、戦国大名よりは総合知を取り入れた精神であったため、関東古来の精神に寛容な対応がなされていました。それは総合知であるべき日奥聖人の分析知に対する徳川家康の総合知という心の世界の出来事に良く現れています。鏑木の地は天領に成りましたが、その領主は原田氏で、平山季重が源頼朝から九州の大宰府周辺の地頭職を恩賞された時の地元の支配者の子孫だそうで、江戸幕府の統治が穏やかであったことを示しています。(2015/2/15)

 ≪欲望と希望≫ Japan-Times215日版に、地球外生物との交信の是非についての記事がありました。40年前、25千光年先の星の集合に信号を送り、2008年にはNASAがビートルズの歌を宇宙に送り出しました。しかし、人類の文明の寿命が1万年程度だとすると、成果の期待出来るのは片道2000光年の範囲が精々で、信号の往復に時間がかかり過ぎることや、著名なホーキング博士が地球外生物は必ずしも友好的あるわけではなく、交信は馬鹿げたことであると言っていることなどから、地球外生物との交信の是非が議論されています。推進者達は、人間の好奇心に重きを置き、現代人がギリシャやローマやソクラテスから知識を得ていることから分かるように、その行為の是非は未来の人達の判断に任せる外はないとしています。この記事を読みながら、カール・ブッセの「山のあなたの空遠く、幸い住むと人の[ある人が]言う。ああ、われひとと[人を伴って]とめ[探しに]行きて、涙さしぐみ[浮かべて]、帰り来ぬ。山のあなたになお遠く幸住むと人の言う」という詩を思い出しました。本当の幸せは自分の周辺の草木国土との間に生じる訳ですが、人間は時空の持つ距離感に夢を虚構しなければ生命を全う出来ない生物にようです。(2015/2/18)

 ≪一億一心≫ 憲法に違反するといわれる「戦争法」が成立すると、すぐに「一億総活躍相」という怪しげな組織が出来ました。戦前、近衛文麿が「天皇の大御心を戴して一億一心」といい、国家総動員体制を推進した時のことを思い出しました。文明の成立以後、各国の支配層は、仮想敵国を作って自己の支配力を維持して来ました。近衛の時代は「鬼畜米英」で、今の北朝鮮の人々が抱いている反米英感に似ています。このことは、現代西欧文明の根底に潜む野卑性に原因があり、アーリア人の聖典が語るアルジュナ王へのクリシュナの助言のように、ある種の拘束の下に置かれた支配者層が、欲望を抱いて社会をコントロールすることが続いています。 当時、「一億一心」の思想は、アインシュタインが訪れた本多光太郎のKS磁鉄鉱の特性と比較されていました。外的条件によって鉄原子内の電子のスピンの方向が揃うと強い磁性が現れ、日常生活のあらゆる面に応用されています。しかし、その性質を持った鉄鉱石は自然界には少なく、その少ない状態が宇宙の意志です。思考というものは、その適応の限界を考えないと、人類の消滅を早めることに繋がります。(2015/10/25)