日奉精神と日蓮宗 日奉大明神38代平山33世高書
T.日蓮は鎌倉時代中期に千葉県の南部で生まれ育ち、日本人の正統な精神を求めて全国を行脚し、多くの仏教経典の中で妙法蓮華経が最高の経典であることを再認識[天台智との関係で]しました。生まれ育った房総半島の旧石器・縄文精神を基盤として、妙法蓮華経の思想を究明して日蓮宗を開きました。同時代の道元や親鸞、また一時代前の空海や最澄等は皆貴種の家に生まれたことや、中国思想の知識を誇りとしていますが、日蓮は、実際の血統は別として、インドで最下層民とされる殺傷を生業[漁民]とする旃陀羅の生まれであることを自称しています。王侯や皇帝と呼ばれる貴種というものは、セム・アーリア系の人々のある種の劣等感の裏返しの虚構で、彼等は見かけ上の繁栄を達成して現代文明の基礎を構成しましたが、地球温暖化や格差が顕在化して、彼等の虚構した文明というものの限界が明らかとなっています。最近の量子科学の発達によって、個々人の脳と宇宙の構成要素との共鳴が、釈迦の説く空性を表していることが解り、日蓮の旃陀羅の生まれであるという立ち位置が、虚構に染まらない人間の立ち位置として正当であり、徳川幕府[文明の虚構]の強固な統制を受けるまでは、不受不施義を主張していた理由もここにあります。 U.ここで言う旧石器・縄文精神とは、エニセイ川上流文化の影響を受けた新モンゴロイドの論理性が南下東進して、争いを繰り返し[夏・殷・周王朝の興亡]、その影響が日本列島に及び始めた今から約3000年以前までに、約3万年間も継続して来た古モンゴロイドの精神であります。その初期にはヨーロッパを追い出されたクロマニオンの一派が朝鮮半島や北海道から列島に到達したという説もありますが、主には、ベトナムの南東にあったスンダランドが水没するのに合わせて北上し、日本列島に北と南から移住して来た人々によって形成された精神です。この人々は環状に集落を形成することによって、宇宙の不思議[空性]を捕捉していました。強いて言うならば、10万年以上前の現生人の誕生は、宇宙の不思議[空性]を捕捉し始めた人々の誕生といえます。「摩訶止観」によれば、宇宙の空性を捉えるには深山幽谷が最適だとされていますが、旧石器・縄文時代の日本列島は何所に居ても深山幽谷的環境であったと言えます。当時の人々は狩猟採取の帰り道や朝夕の景色に、巧まずして瞑想の環境が整っていました。馬鳴菩薩によれば、止と観は独立の状態ではなく、DNAの二重螺旋構造や右脳左脳のように両義的二極構造を採っています。数千年をかけての原始瞑想の累積が、環状集落を生み出しました。
V.新モンゴロイドの渡来による社会の論理化が、益々激しくなる中[百済王が律師や造寺工を贈る等]で、敏達大王は日本列島本来の精神を取り戻すために、日本列島の最東端に残っていた縄文精神に着目し、下海上国造[国造は鏑木に居住]を奈良桜井の他田宮に呼び寄せ、日奉部を創設(577)しました。このことは、旧石器後期・縄文精神や海上国の精神や日奉精神は同根の精神であることを示しています。
W・仏教は、古モンゴロイドに属する釈迦族の王子が、インド・アーリア人の瞑想という手法を用いて、宇宙の不思議[空性]を捕捉して原始仏教を誕生させたことに始まります。この原始仏教は、西部インドでバラモン教の影響を受けて論理化され、更に北上してアレクサンダーの東征によるヘレニズムの論理性等を吸収して大乗仏教[妙法蓮華経等]として完成しました。550年頃に新モンゴロイドの北魏の影響下、天台智によって更に論理性が増した解釈がなされて、妙法蓮華経は諸経典中で最高の経典[経王]とされました。
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